湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。


03.空蝉橋物語

第一話:大都会の片隅

ボクが東京に出てきた時はまだ池袋のサンシャイン60が最も大きなビルで、その雄大な姿は池袋周辺の街からもよく見え、まさに大都会の象徴といった風情でした。

山手線で池袋の隣の駅、大塚からもサンシャイン60はよく見えます。古びた狭い路地からみえる空を覆い隠すようにそびえるサンシャン60はあまりにも近代的で、それを見上げながら古い家の並ぶ路地を歩いていると、この大塚の地こそが「大都会の片隅なのだ」いう思いが募ってきたものです。

東池袋と大塚の間に「空蝉橋」という、線路にかかる小さな橋があります。池袋から歩いてきてこの橋を渡れば大塚です。「空蝉」は文字通り蝉の脱け殻という意味なのでしょうが、身につまされます。「うつせみ」という読みの響きもどこかもの悲しくて、悲哀に満ちた大人のために付けられた名前のような気がします。

そう、この大塚の空蝉の地こそが「大都会の片隅で脱け殻になる」人のための街なのだとボクは当時確信し、もう何十年もこの街に通っているのです。

空蝉のあたりには二十数年通っていた料理屋があったのですが、それも2年前に閉店になり、その後だれも開業する人がいなくて廃墟のようになっています。ときどきその廃墟を見に大塚に行っています。

第二話:座布団10000枚

都会の片隅で脱け殻になるために、大塚の空蝉あたりにやってきたのですが、2年前閉店になった馴染みの料理屋はやはりそのまま廃墟のようになっていて、看板も昔のものが掛かったままでした。家は人が住まなくなると朽ち果てるのが早いと言いますが、まさにその通りで見る影もない姿に変わっていました。   

ボクは近所に店を見つけて入り、あの廃墟のようになったかつての馴染みの料理屋のことを思い出そうとしたのですが、まったく思い出せず、ただひたすらビールを飲んでいました。その店にはもう一人お客さんがいて、ボクはその人とカウンターで二人並んで無言でずっとビールを飲んでいました。

そのうちそのお客さんが奇妙な行動をしているのに気づきました。その人は、ものすごい勢いでビールを飲み干すと、空いたビンを目の前にずら~と並べていて、その数はもう10本を越え、店員さんもそれを片づけるでもなく、空のビールビンは増える一方で、BGMもない静かな店内に空のビールビンがこすれる音だけが定期的に響きました。

ボクはその様子を眺めながら、亡くなった初代貴ノ花が北の湖を破って初優勝を決めた時のことを思い出していました。確かあの時アナウンサーは「おーと、座布団が100枚、いや1000枚、いや10000枚乱れ飛んでいます~」と観客が興奮して投げる座布団の数を実況していました。まさに日本中が興奮した瞬間です。

いつまでたっても隣のお客さんのビールビンを並べていくペースは衰えることなく、その怒りにも似た飲みッ振りは、なにか重大な決意を表明しているかのようでした。ボクは、この人はこの店を空のビールビンで埋めてしまうつもりなのだ、と思いました。

感動とか興奮とか惜別とか絶望とか、激しい感情の流れが、静まり返った店内で繰り返されているような夜でした。

第三話:ビール男絶好調

いい小料理屋の条件を自分なりに挙げると、割烹着の似合う小粋なママがいるのは当然ですが、もう一つ、カウンターに奥行きがあって広いことです。カウンターが広いと圧迫感がなくて、店の人との距離もとれるので、ゆっくりできます。
                                      
初めて入ったその店もカウンターに奥行きがあり、新聞を広げて読めるほどの広さで、見るからに居心地のよさそうなカウンターでした。その広さを利用して隣の男は黙々と空のビールビンを並べていたのです。

その店には小粋なママとはいきませんが、それに匹敵するくらい魅力的な「無口な板さん」がいました。いつも無口なのか、今日が特別なのかはわかりませんが、隣のビール男がビールを飲み干し、低く「ビール」と注文すると、無言でビールを出しました。ボクがその店に入って以来、ずっと店内に響くのは「ビール」という男の低い声と、ビンのこすれる音だけでした。

ボクが飲んでいたビールも空になったので、次は焼酎でもたのもうかと思ったのですが、今のこの空気を乱すのも忍びないので、ビール男のように低く「ビール」と注文しました。すると予想に反してその板さんは「はい」と短くきっぱりと返事し、すばやくビールを出すと空のビールビンを持っていったのです。

ボクは表情にこそ出しませんでしたが、すべての謎が解決したような晴々とした気持ちになりました。この板さんはビール男の理解者なのです。共演者というべきでしょうか。ビール男が空のビールビンで店内を埋めてしまうことを受け止めようとしているのです。むしろ自虐的なロマンを感じているのかも知れません。

ビール男の飲むペースは衰える気配を見せませんでした。

第四話:愛のカウントダウン

「無口な板さん」はずっと無口なままでした。何か言葉を選んで話すきっかけをうかがっているのではなく、最初からまったく話すつもりのない意志の感じられる沈黙でした。隣のビール男は相変わらずいいペースでビールビンを空にしていて、ボクは初めて入った店ながら、わずらわしい自己紹介や世間話をしなくてすみ、心穏やかに以前大塚で飲んでいた頃のことなどを取り止めもなく思い出しながら飲んでいました。

いつ頃だったか、隣のビール男がビールビンを並べる音が妙にリズミカルに感じられるようになりました。ビールのこすれあう音が焦りとか怒りとかではなく、生き生きとした歓喜の音に変わってきたように思いました。

もしかしたら、このビール男が空のビールビンを並べているのは店をビールビンで埋めようとして際限なく飲んでいるのでなく、なにか意味のある数へのカウントダウンのために飲んでいるのかもしれない、とボクは思うようになりました。

たとえば、ビ-ル男には憎からず想っている年若い女(ひと)がいて、その想いを何年も告げることが出来ず、年に一度彼女の誕生日にこの店に来て、彼女の歳の数だけ空のビールビンを並べ、最後のビールを飲み干した後に「おめでとう」とつぶやくのかもしれません。まさに愛のカウントダウンです。

だから板さんも何も話さずにその瞬間を待っているのでしょう。そこにボクという予期せぬ客がきた…。だけど大丈夫。ボクだってそんなヤボじゃありません。人呼んで「風呂上がりの恥ずかしがり屋」、平成の風流人です。

ボクは小学生の時学芸会で演じた「岩」のようにじっとして、心の中でビール男にエールを送りました。

最終話:明快に純粋に

黙々と飲み続けるビール男の横で、ボクの心は揺れに揺れていました。思えば、最初ビール男の飲み方に怒りや絶望を感じたのは、ボクが亡くなった初代貴ノ花のことを忍んでいた時だし、ビール男に秘めた恋愛を感じたのは、店内の寡黙な雰囲気に居心地のよさを感じていた時でした。つまり、ボクが感じたビ-ル男の感情の揺れは、そのまま自分自身の感情の揺れだったわけです。

ボクはビール男の顛末を確認することなく店を出ました。

空蝉橋を渡りながらビール男のことを考えました。あの寡黙さといい飲みッ振りといい、昨日今日の酔っぱらいではありません。だけど、どんな信念があるにしてもあんな飲み方をしていたら体を壊し医者に注意されているに違いありません。それが毎日なら、親は呆れ、子は離れ、妻はすがって止めているでしょう。それを振り切って飲んでいるのでしょうか。あるいは、隠れてこっそり飲んでいるのかもしれません。

無表情で飲み続けるビール男の横顔を思い出してみました。今思えばそんなに信念に満ちているとも思えませんし、秘めた想いがあるようにも思えません。だけど人の心を映す鏡のように、明快で純粋な生き方をしているようにも思えます。

ちょうど空蝉橋を渡り終えるころ、ボクは「そんな生き方も悪くないな」とちょっと声に出して言ってみました。

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