江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

上方で職業浮世絵師となった最初の人物・柳斎重春

柳斎重春「三代目中村歌右衛門の自来也」

春梅斎北英と同時期に活躍し、上方浮世絵の中期を支えた柳斎重春(1802-1852)は、長崎の生まれで、実家は大島屋という両替商を営んでいた。重春の才能に気付いた親が、大坂に連れてきて画技を修めさせたと伝わっているが、その時の師匠が誰だったかは分かっていない。

師については諸説あり、独学説もあるが、滝川姓を名乗り初期作品に丸丈斎国広との合作が確認されるため国広に師事した可能性もある。また、江戸の柳川重信の大坂滞在の際に師事したとも、大坂を訪れていた葛飾北斎に学んだともされるが、いずれも定かではない。

役者絵作品の初見は文政4年で、長崎国重、梅丸斎国重など「国重」を名乗り、文政9年から柳斎重春に改めている。天保改革期の中断をはさんで、嘉永4年まで32年間作画し、200点余りが判明している。

役者絵のほかに挿絵も多く描き、芝居の看板も手掛け、肉筆画も残している。上方で職業浮世絵師となった最初の人物とされ、以後の上方役者絵師たちは浮世絵を家業としたと考えられている。

柳斎重春(1802-1852)りゅうさい・しげはる
享和2年長崎生まれ。生家は長崎で両替商大島屋を営んでいた。幼いころに大坂に出た。姓は山口、名は安秀、俗称は甚治郎。長崎国重のちに柳斎重春と改称、梅丸斎、玉柳斎、崎陽斎などと称した。春梅斎北英とともに上方浮世絵中期を支えた。装飾的な画風で、役者絵のほか絵本、絵入根本の挿絵が多い。嘉永5年、51歳で死去した。

大阪(64)-画人伝・INDEX

文献:絵草紙に見る近世大坂の画家、浪華人物誌2、大阪人物誌巻4、近世大阪画壇、上方の浮世絵-大坂・京都の粋と技、幕末大坂の風景