近世大坂画壇で森派の森徹山と同時期に活躍した写生派の画家としては、四条派の長山孔寅がいる。孔寅は秋田の人で、京都に出て呉春に画を学びその後大坂に移った。田能村竹田にその写実性を賞賛されたといい、竹田の著書『竹田荘師友画録』によると、村瀬栲亭に呉春への入門を勧められたという。鶴廼屋乎佐丸に学び、狂歌もよくした。
長山孔寅(1765-1849)ながやま・こういん
→呉春に師事し大坂画壇で活躍した長山孔寅
長山孔直(1800or1803-1862)ながやま・こうちょく
寛政12年または享和3年生まれ。名は孔直、字は方叔。号は蠖庵、竹外。長山孔寅に学び、養子になったと伝わっている。文久2年死去した。
長谷如鶴(不明-不明)
大坂の人。俗称は長谷寅蔵。七郎右衛門町に住み、書を武内鶴斎に、画を長山孔寅に学んだ。『続郷・文六』『金襴』にその名がみえ、文政頃の活躍とみられるが詳しい経歴は不明。
大阪(12)-画人伝・INDEX
文献:絵草紙に見る近世大坂の画家、近世大阪画壇、浪華人物誌2、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、大阪名家著述目録、近世の大坂画壇、近世の大阪画人、大坂画壇の絵画