渡辺了慶「松に鶴図」京都・西本願寺対面所下段の間、西側障壁画
狩野光信の主な門人としては、狩野興以と渡辺了慶がいる。興以は、のちに江戸狩野を形成する探幽・尚信・安信の3人の師として著名だが、その陰に隠れがちだった了慶も近年の研究で徐々に業績が明らかになってきており、その最も重要なものに、京都・西本願寺対面所の障壁画制作がある。
西本願寺対面所は、200畳敷の大広間で、その広大な室空間は、上々段、上段、下段の3部に分かれており、そのすべてに金碧障壁画がほどこされている。上々段、上段が中国人物図であるのに対し、下段の東西両側面は大構図による花鳥図となっており、掲載の「松に鶴図」は了慶筆とされる西側障壁画の一部である。この了慶様式は、対面所以外の白書院などにもみられ、了慶が西本願寺障壁画制作に主導的な役割を果たしたとみられている。
渡辺了慶(不明-1645)わたなべ・りょうけい
狩野光信の門人で狩野姓を許され、のちに肥前の平戸に移って没したと伝わっている。了敬、了桂などといった。京都・西本願寺の大広間や杉戸の障壁画の一部が了慶筆と伝わっている。元和・寛永時代における狩野派の門人のなかでも、人物、花鳥画がすぐれた有力な画家だったとされる。子に了之、孫に了海と代々画家が続いた。正保2年死去した。
京都(56)-画人伝・INDEX
文献:日本の美術14 桃山の障壁画、原色日本の美術. 第13巻、日本画家人名事典