望月玉川「寒山拾得指月図」ボストン美術館蔵
望月玉川(1794-1852)は、望月派二代目の望月玉仙の子とも養子とも伝わっている。2歳の時に父と死別したため、村上東洲(不明-1820)に画の手ほどきを受け、のちに岸駒に師事した。19歳の時に長崎に遊び、さらに江戸に出て谷文晁に学び、帰京して呉春に私淑したという。望月派初代・玉蟾、二代・玉仙ら望月派の画風を大きく変え、情緒的な画風を確立し「岸派と四条派の折衷」といわれた。
望月玉川(1794-1852)もちづき・ぎょくせん
寛政6年京都生まれ。望月玉仙の子(養子とも)。名は輝、または重輝、字は子瑛。資清館と号した。幼時に父を失い、はじめ村上東洲に、のちに岸駒に師事した。長崎、江戸に遊び、山水、花鳥を得意とした。子の望月玉泉も四条派の日本画家として活躍した。嘉永5年、59歳で死去した。
村上東洲(不明-1820)むらかみ・とうしゅう
京都の人。名は成章、字は秀斐。画僧。画を望月玉蟾の門人・鼇山に学び、さらに円山派を研究し、山水人物を得意とした。紀竹堂は東洲の門とされる。文政3年死去した。
京都(123)-画人伝・INDEX
文献:江戸絵画の非常識、日本画家人名事典