望月玉蟾「竜図」
望月玉蟾(不明-1755)は、京都の蒔絵師の家に生まれた。はじめ土佐光成に学び、のちに山口雪溪につき、さらに元・明の画蹟も研究した。儒学者の皆川淇園が書いた「望月玉蟾伝」よると、狩野元信と雪舟を好んだという。また、『近世畸奇人』などには、池大雅とともに漢画を学んだとある。
性格は奇人と呼ばれるほどで、画にも奇抜飄逸なところがあり、筆力の強いクセのある水墨画や、その反対に鮮やかな彩色の密画を描いた。当時の京都画壇では異色の画風で、望月派の祖とされ、子孫も画家として名をなした。
なお、望月派の二代目・望月玉仙(1744-1795)が、かなり長い間「玉蟾」を名乗り、初代と同じ印章を使っていたことから、初代と二代の判別が困難な場合がある。
望月玉蟾(不明-1755)もちづき・ぎょくせん
京都生まれ。名は玄、または重勝、重供、豊重、古高など。字は守静、通称は与五郎、または藤兵衛。別号に月庵、月玄、静庵、千里川などがある。もとは印籠蒔絵を業とし、土佐光成、山口雪溪に学んだ。また、元・明の画蹟を研究して一家をなした。山水、花鳥、人物にすぐれた。生年は不詳だが、享年は64歳と83歳の2つの説が有力である。
望月玉仙(1744-1795)もちづき・ぎょくせん
延享元年京都生まれ。望月玉蟾の子。名は真、または重祐。はじめ父と同じ守静、玉蟾の号を使っていたが、のちに玉仙と改め、別号を誠斎としたため、誠斎玉蟾とも呼ばれた。父に学び、望月家の二代目として父の画風を守った。寛政7年、52歳で死去した。
大西酔月(不明-不明)おおにし・すいげつ
京都の人。字は希蟾。望月玉蟾に学び、山水画、人物画を得意とした。呉春の最初の師とされる。
京都(122)-画人伝・INDEX
文献:へそまがり日本美術、日本画家人名事典