河村文鳳『文鳳麁画』(部分)福岡市博物館蔵
河村文鳳(1779- 1821)は、岸駒に師事したが、文化年間前半頃には岸派を離れ、諸派の画風を統合して独自の画風を確立した。人物、山水、花鳥獣などに優れ、特に早い筆運びによる人物画は各方面から高い評価を得て、『文鳳画譜』『文鳳漢画』『帝都雅景一覧』『金波園画譜』など多くの画譜を刊行した。
なかでも『文鳳麁画』(掲載作品)は異色の作品で、他の本とは異なり、人物表現が極めて簡略化されている。府中市美術館編集の「かわいい江戸絵画」では、本作について「本のどこを開いても豆粒のような老若男女が所狭しと活躍していて、さまざまな時節のさまざまな風俗を楽しくみせている。軽やかで洒落ていてすべての形にユーモアがあふれている」と評している。
また、俳人の正岡子規は、本作について、簡略でありながらも写生に基づき、風景のなかのちょっとした人物にも的確な写生によくしぐさを加えているところを絶賛し、「あるいは余の性簡単を好み天然を好むに偏するによるか」と自己分析している。
河村文鳳(1779- 1821)かわむら・ぶんぽう
安永8年京都生まれ。名は亀、または馬声、字は駿声、または俊声、五游。別号に有毛、首陽館、竹裏館、白竜堂などがある。岸駒に師事し、寛政8年の東山新書画展観に岸派門人として出品している。のちに諸派を学び、一家をなした。寛政12年の『文鳳麁画』をはじめ、『文鳳画譜』『文鳳漢画』『帝都雅景一覧』『金波園画譜』など多数の画譜を刊行した。俳諧にも優れ、多くの俳画を描いた。文政4年、43歳で死去した。
河村琦鳳(不明-1852)かわむら・きほう
京都の人。字は五逸。別号に竹裏館がある。河村文鳳の養子となり、養父・文鳳に学び、人物、花鳥を得意とした。嘉永5年死去した。
京都(121)-画人伝・INDEX
文献:円山応挙から近代京都画壇、日本画家人名事典、かわいい江戸絵画、江戸絵画の非常識