江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま兵庫県を探索中。

UAG美術家研究所

肥後土佐派の祖・福田太華

福田太華「蒙古襲来絵詞模本」菊池神社本

熊本における復古大和絵の展開は、文政11年に福田太華(1796-1854)が《蒙古襲来絵詞》の模写を始めたことが始まりとされる。太華は専門の絵師ではなく、熊本藩の馬医だったが、故実に通じ、《犬追物絵巻》《後三年合戦絵巻》なども模写し「肥後土佐派の祖」と称されるようになった。明治に入ってもその流れは、門人で大和絵を専門に描いた淵上誠方や淵上武貫らによって継承され、南画とともに明治の熊本画壇のもうひとつの流れを作っていった。

また、熊本の場合、大和絵の復古主義的な考え方に国学が密接につながっているとも考えられる。当時の代表的な国学者である林桜園、中島広足、長瀬真幸、高本紫溟らの系譜のなかにも絵を描くものが出てきた。中島広足に学んだ小山聴雨、吉永千秋らは南画風の作品を残しているが、思想的背景から復古大和絵の流れの中にあるといえる。

福田太華(1796-1854)
寛政8年熊本生まれ。名は川象、字は収蔵、子壽。通称は儀右衛門。別号に無量、観山、湘雨などがある。村井蕉雪に学んだ。熊本藩の馬医だったが、故実学をよくし武器書画などの御用を仰せつかったと思われる。元寇での竹崎季長の活躍を描いた《蒙古襲来絵詞》を模写したことで知られ、「肥後土佐派の祖」と称されている。嘉永7年、59歳で死去した。

村井蕉雪(1769-1842)
明和6年生まれ。福田太華の師。名は烜、字は士陽、通称は冠吉。別号に玉蟾がある。熊本藩に仕え、再春館医学監となった。天保12年、73歳で死去した。

渡辺竹窓(1810?-1882)
名は左工門。福田太華に学び、花鳥人物を得意とした。篆刻もよくした。明治15年、73歳で死去した。

小野蘇堂(1824-1897)
文政7年生まれ。名は教蔵、字は伯虎。別号に用古堂がある。福田太華に学んだ。明治30年、74歳で死去した。

淵上誠方(1833-1915)
天保4年熊本市生まれ。名は勝彦、誠方。汲古堂と号した。別号に桂舟釣夫、守頑逸人がある。福田太華に学び、復古大和絵の継承者として明治画壇を担った。晩年は出水神社の社司もつとめた。大正4年、83歳で死去した。

淵上武貫(1845-1913)
弘化2年生まれ。淵上誠方の甥。名は清太郎。武貫、竹翠と号した。渕上誠方に学び、武者絵をよくした。大正2年、65歳で死去した。

岡田楳顚(1803-1877)
享和3年生まれ。はじめ村井蕉雪に学び、のちに福田太華に学んだ。梅を得意とした。明治10年死去した。

古山衲琴(不明-不明)
名は時次郎、字は穀臣。福田太華に学び、山水を得意とした。

田中亀水(1820-1867)
文政3年生まれ。名は市兵衛、字は暢。初号は亀泉。別号に文郷、生暢、武古などがある。はじめ福田太華に学び、のちに京都に遊び吉田公均について南宗画を学んだ。また、土佐家に出入りして彩色をなした。彫刻も得意とした。慶応3年、48歳で死去した。

香山梧堂(1812?-1891)
名は新八。別号に壽山、蘇叟がある。福田太華に学んだ。明治24年、80歳で死去した。

小山聴雨(1816-1893)
名は市太郎、のちに多乎理と改名した。字は士泉。別号に栗園、栗屋、醉月、硯耕堂、川景、川蔭などがある。はじめ矢野良敬に学び、のちに福田太華に学んだ。国学を中島広足に学んだ。明治26年、78歳で死去した。

吉永千秋(1818-1904)
文化15年生まれ。熊本市に藤崎八幡宮の神官・秀俊の子。のちに十三代神官となった。幼名は秀和、のちに千秋を改名し、賢木園と号した。長瀬真幸、中島広足に歌学を、林桜園に神道を学び、画は福田太華に学んだ。

園田鑑江(不明-不明)
八代の人。名は俊蔵、川臣。字は子平。福田太華に学び、山水、四君子を得意とした。

福田藍園(不明-不明)
福田太華の子。名は熊次郎、のちに範蔵。字は桃郷。父に学び、彫刻もよくした。

熊本(7)-画人伝・INDEX

文献:肥後の近世絵画肥後書画名鑑熊本の近代日本画

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