江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

京都に出て浦上春琴らに学んだ讃岐の南画家

三井飯山「松下高士図」(部分)

京都に出て学んだ讃岐の南画家としては、浦上春琴に学び高弟となった小西松塢をはじめ、春琴門からは、松岡李堂、木村葭郷らが出た。また、田能村竹田に学んだ合葉文山、田能村直入に学び、のちに池田桂仙、河野秋邨らと日本南画院を結成した三井飯山がいる。貫名海屋の門からは三谷石門、中村竹巌、細谷耕雲、細谷立斎らが出ている。

海屋に学んだ細谷立斎の一家は、父の細谷松坡をはじめ、師系は不明だが画をよくした。また、立斎の門人としては『讃岐画家人物誌』に森島松坡、庄司丘霞が掲載されている。

三井飯山(1881-1934)みつい・はんざん
明治15年生まれ。名は犀二郎。はじめ十市王洋につき、のちに田能村直入に師事し、山水、花鳥をよくした。常に直入に随従し、門人のなかでも最も直入の風致を得たといわれている。池田桂仙、河野秋邨らと日本南画院を結成した。昭和9年、53歳で死去した。

小西松塢(1797頃-1845)こにし・しょうう
寛政9年頃生まれ。名は貞游、通称は元四郎。三豊郡本山村の人。京都に出て浦上春琴に師事し、高弟とされた。弘化2年、49歳で死去した。

松岡李堂(1787頃-1861)まつおか・りどう
天明7年頃生まれ。名は正臣、字は伯、通称は衛門。別号に松琴、水莖、残月樓などがある。仲多度郡吉原村の人。幼いころから尾池桐陽の門に学び、のちに京都に遊び、眼医者として名を高めた。浦上春琴に学び、山水をよくした。文久元年、75歳で死去した。

藤井半雲(1825頃-1897)ふじい・はんうん
文政8年頃生まれ。名は香澤、あるいは陳舜香。志度町の人。医業のかたわら浦上春琴に私淑し、花鳥をよくした。明治30年、73歳で死去した。

木村葭郷(不明-不明)きむら・かごう
丸亀の人。医業のかたわら浦上春琴に学んだ。

合葉文山(1797頃-1857)あいば・ぶんざん
寛政9年頃生まれ。名は秦、通称は直次郎。信州上田の人。のちに琴平に移った。田能村竹田に学び人物、花鳥をよくした。安政4年、61歳で死去した。

藤村墨雨(1797頃-1855)ふじむら・ぼくう
寛政9年頃生まれ。名は直弘、字は毅順、通称は音九郎。別号に澹齋、今是などがある。三豊郡和田浜の人。古書画を多く所有していた。貫名海屋、上杉墨水と親しく交友した。当時は墨人たちが多く来て逗留していたため、よく知られていた。画をよくし、俳歌も巧みだった。安政2年、59歳で死去した。

三谷石門(1842-1894)みたに・せきもん
天保13年生まれ。名は遷、字は干喬、通称は清平。別号に如年、恒心山人、城山獵夫、安々主人、三桃亭主人などがある。綾歌郡三谷村の人。貫名海屋の門に学び、山水を得意とした。詩や書もよくした。明治27年、53歳で死去した。

中村竹巌(1815頃-1882)なかむら・ちくげん
文化12年頃生まれ。名は登、通称は兼五郎。別号は金門、竹雨がある。春塘の子。画を貫名海屋に学んだ。当時は兒島竹處と並び称された。山水、蘭竹を得意とした。明治15年、68歳で死去した。

細谷耕雲(1830頃-1853)ほそや・こううん
天保元年頃生まれ。名は博介、字は愛介。細谷松坡の二男。画を父と貫名海屋に学び、山水、花卉をよくした。嘉永6年、24歳で死去した。

細谷立斎(1831-1911)ほそや・りっさい
天保3年頃生まれ。名は辰、字は師古、または子星。細谷松坡の三男。別号に三松居士、錦江釣叟、六一山人などがある。はじめ画を父に学び、のちに貫名海屋に六法を受け一家を成した。山水、花卉をよくした。設色法に詳しく、古書画の鑑定もした。明治44年、80歳で死去した。

細谷松坡(1797頃-1868)ほそや・しょうは
寛政9年頃生まれ。名は有芳、通称は成海。医業のかたわら画をよくし、山水、四君子を得意とした。明治元年、72歳で死去した。

細谷玉芝(1809頃-1878)ほそや・ぎょくし
文化6年頃生まれ。名は壽満。細谷松坡の妻。蘭竹、芝石などをよくした。明治11年、70歳で死去した。

細谷松華(1844頃-1888)ほそや・しょうか
弘化元年頃生まれ。名は為善、字は虚白、通称は多門。細谷松坡の六男。花卉を得意とした。明治21年、45歳で死去した。

森島松坡(1869頃-1901)もりしま・しょうは
明治2年頃生まれ。名は吉、字は吉甫、通称は吉次。細谷立斎の子。山水花卉をよくしたが、大成せずに夭折した。明治34年、33歳で死去した。

庄司丘霞(1839頃-1908)しょうじ・きゅうか
天保10年頃生まれ。通称は駒之助。三豊郡大野村の人。細谷立斎に学び、花鳥を得意とした。俳歌もよくした。明治41年、70歳で死去した。

香川(10)画人伝・INDEX

文献:讃岐画家人物誌、讃岐の文人画展、描かれし美の世界