今竹七郎(1905-2000)は、兵庫県神戸市に生まれた。早くからバウハウスの理念に共鳴してデザインに関心を持ち、昭和2年神戸大丸百貨店意匠部に入社、店内装飾、飾窓、催場構成、広告デザインなどを担当し、翌年には宣伝部のデザイナーとなった。
昭和4年には新興写真運動を展開した写真家の中山岩太らと神戸商業美術研究所を開設し、神戸地区初のデザイン啓蒙運動に着手した。昭和6年大阪髙島屋宣伝部に移り、同年から林重義が主宰する月曜会に入り本格的に油彩を学びはじめ、以後は画業とデザイナーとしての仕事を平行してすすめた。
画業では、昭和10年に独立展に初入選し、昭和14年からは春陽会に移り、昭和28年には会員となった。具体美術協会の吉原治良とも親密に交友した。画風は写実から次第に抽象的なものとなり、昭和26年にシアトル日本貿易博展示構成監督のため渡米したのを機にさらに抽象表現へと向かっていった。
また、グラフィックデザイナーとしては、戦後独自のスタジオを設立するまで大阪高島屋宣伝部に在任して次々とヒット商品を生み出し、それまで画家の片手間的仕事だったグラフィックデザインを自立した領域にまで高め、日本のグラフィックデザイン界の先駆者的役割を果たした。
今竹七郎(1905-2000)いまたけ・しちろう
明治38年兵庫県神戸市生まれ。昭和2年神戸大丸意匠部に入社。昭和4年写真家の中山岩太と神戸商業美術研究所を設立。昭和6年大阪髙島屋宣伝部に移った。同年から林重義に油彩を学び、昭和10年第5回独立展に初入選。昭和14年から春陽会展に出品、昭和17年春陽会賞を受賞、昭和28年春陽会会員となった。一方で、グラフィックデザイナーとして、関西デザイン界の発展に貢献した。昭和45年西宮市民文化賞受賞。平成12年、94歳で死去した。
兵庫(68)-画人伝・INDEX
文献:明治・大正神戸生まれの芸術家たち、グラフィクデザイン・モダン絵画の先駆者 今竹七郎とその時代 1905-2000