江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

パリで佐伯祐三の壮絶な制作態度と悲劇的な死を目前にし画業のうえで決定的な影響を受けた大橋了介

大橋了介「広告」

大橋了介(1895-1943)は、滋賀県彦根市に生まれ、8歳頃に一家で台湾に移り住んだ。台湾総督府台北第一中学校卒業後、大正8年に上京し、翌年東京美術学校の受験にのぞんだが失敗、本郷洋画研究所で岡田三郎助に学んだ。昭和2年渡欧の際、偶然同船となった荻須高徳、山口長男横手貞美とともにパリの佐伯祐三をたずね、その壮絶な制作態度と翌年の悲劇的な死を目前にし、画業のうえで決定的な影響を受けた。

在仏中は、サロン・ドートンヌ、サロン・アンデパンダンなど数々のサロンに入選し、昭和6年には第12回帝展に初入選を果たした。昭和8年、パリの研究所で知り合ったエレナ・ペレイラ・ダ・シルヴァと結婚し、同年ともに帰国。帰国後はたびたび個展を開いたが、思ったような評価は得られず、昭和10年芦屋に転居してからも目立った活動はみられないまま、脳腫瘍のため48歳で死去した。

大橋エレナ(1895-1966)は、ブラジル人画家の父とフランス人の母のもとに生まれ、父がら画の手ほどきをうけ、その後ブラジルから一家で渡仏し、絵画や音楽を学んだ。了介と結婚して日本に住んでからは、了介の活動を助け、服飾デザイナー、ピアノ講師をしながら生活を支えた。了介の死後は、その作品を保存するために心を砕いた。昭和24年、了介の作品の半分をもってブラジルに帰国、画家としてその生涯を終えた。

大橋了介(1895-1943)おおはし・りょうすけ
明治28年滋賀県彦根市生まれ。台湾総督府台北第一中学校卒業後、本郷洋画研究所で岡田三郎助に師事した。昭和2年渡仏し8年まで滞在した。パリで訪ねた佐伯祐三に大きな影響を受けた。この頃サロン・ドートンム、サロン・デ・デュイルリー、アンデパンダン展などに毎年出品した。昭和6年第12回帝展に初入選。昭和8年エレナと結婚しともに帰国し、昭和10年芦屋に転居した。昭和18年、48歳で死去した。

大橋エレナ「籠の花」

大橋エレナ(1895-1966)おおはし・えれな
明治28年ブラジル生まれ。父は画家で当時中学校の教師だった。母はフランス人。明治44年家族とともにパリに渡り絵画や音楽を学んだ。昭和4年アカデミー・グラン・ショミエールで大橋了介に出会い、昭和8年結婚。同年了介とともに日本に移住し、芦屋に住んでからは服飾デザイナー、ピアノ教師として生活を支えた。昭和18年の了介の死後は、その作品の保存につとめた。昭和24年帰国し制作活動を続けた。昭和41年、71歳で死去した。

兵庫(47)-画人伝・INDEX

文献:兵庫の美術家県内洋画壇回顧展、芦屋の美術、大橋了介・エレナ展