江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

森派を継いで幕末期の大坂画壇で活躍した森一鳳

森一鳳「猪図」永青文庫蔵

森一鳳(1798-1871)は、播州吉田村の出身と伝えられている。大坂に出て森徹山の門に入り、その画技を認められて24歳の時に娘婿となって森派を継ぎ、家風を守って幕末期の大坂画壇で活躍した。

森派は、はじめ狩野派風の画を描いていた森陽信、森周峰、森狙仙の三兄弟のうち、狙仙が確立した写生画の画系とされ、その画系を円山応挙の高弟だった森徹山が狙仙の養子となって継いだ。そのため円山派と森派は画系的にも血縁においても結びつきが深く、一鳳と同じく徹山のもとで学びその後養子となった森寛斎は円山派の重鎮として活躍している。

一鳳の経歴は不明な点が多いが、兄弟弟子の森寛斎と同じく安政の御所造営の御用をつとめ、徹山のあとを受けて肥後藩細川家に出任していたとされ、晩年期の作品が熊本に多く伝存しているという。

森一鳳(1798-1871)もり・いっぽう
寛政10年生まれ。播州吉田村の出身と伝わっているが、伊勢の一志郡久居町出身という説もある。敬之、字は子交。本名は岩崎三平。天保3年、24歳の時に森徹山の養子となり、その後家風を守って大坂を拠点に活躍した。義父徹山同様に肥後細川家に仕えたとも伝わっている。明治4年、74歳で死去した。

兵庫(18)-画人伝・INDEX

文献:兵庫を歩いた近世の画家、江戸の動物画