江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

秋田(7)-ネット検索で出てこない画家

江戸後期の画家(3)
宇都宮康甫
秋田藩の重臣で絵もよく描いた。鶴山(孟綱)の四男。通称は敬吉。

遠藤玉瑩
文化4年仙北郡角館町生まれ。名は正以、通称は金次郎。橋本惣兵衛の子で、横手古川町の遠藤家に養子入りした。山県三郎兵衛組下の足軽の小頭で、絵は横手本町の書歌に通じた西宮四壁(正興)に習った。得意は花鳥人物で最もよくタカを描いた「横手鷹」の一人。
門下に松岡玉峰がいる。国谷松斎句賛の「聞きなれてきかぬ日淋し閑古鳥」入りの作品が横手市に残っている。

加藤澗斎
文晁派の幕末の画家。由利郡象潟町小砂川の加藤半左衛門家に生まれた。増田九木、岸駒に師事したとみられる。『象潟町史』には岸駒の夫人と親しくなり、同輩のねたみによって告げられ破門にあい、故郷に逃げ帰り、九木を師としたとある。タカを得意とした。小砂川清水屋旅館に《松鷹図》が残っている。

水琴女史
井伊大老要撃事件の時に、多くの水戸浪士が秋田に逃れて来たが、女史もその亡命者の一人で姓氏は不明。妙齢にして見識高く、書画ともに堪能といわれた。路に病み、平鹿郡の医師・原順庵(平蔵の父)に助けられ、数カ月寄宿、また沼館義光院にもいた。竹や四君子、小雀を得意とした。

狸源兵衛
大曲市花館の画家。畸人と伝えられる。安藤和風著『秋田人名辞典』には「平鹿郡吉田(平鹿町)の人」とある。

竹村節斎
角館町の人。通称は平助。別号に湖南がある。

戸村旭峰
横手城代の人。諱は義辰。義通の子。

寺崎広意
秋田藩士。通称は藤九郎。祖父は広方、子が広長。

中山月樵
嘉永元年生まれ。秋田市の人。通称は甚五郎。播州の柴田雪樵に学んだ。

根本周興
秋田市の人。通称は松之助。芙蓉の絵を得意とした。

茂木知矩
秋田藩士。歌、絵画をよくした。

秋田(7)-ネット検索で出てこない画家

文献:秋田書画人伝