江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

12歳で体験した戊辰戦争を語り伝え、「白虎隊自刃之図」を描いた佐野石峰

佐野石峰「白虎隊自刃之図」

会津に生まれた佐野石峰(1857-1942)は、幼いころから藩の北素読所に入って漢学を修め、のちに橋爪助次郎、福田為之進に詩文を学んだ。明治4年に青森県の三ノ戸学校に入学、かたわら吉越梯雲に北画を学んだ。明治7年、一家をあげて故郷に帰り、石峰は明治9年から小学校の教師となって、主に河沼・大沼地方で勤務した。

明治35年、学校を退職してからは、画をもって余生を送ることを決意し、佐藤適圃について南画を学び、のちに上京して川村雨谷に師事した。大正8年、福陽会美術会が創設されると、勝田蕉琴、荻生天泉らとともに幹事をつとめた。12歳の時に体験した戊辰戦争、なかでも甲賀町口の戦いの模様を後世に語り伝え、79歳の時に「白虎隊自刃之図」を描いた。

会津白虎隊の自刃をテーマにした作品で、最も古いものは、会津若松市の会津武家屋敷の所蔵されている穂積朝春の「白虎隊自刃図」2点で、両図とも明治2、3年に制作されている。続いて、明治時代前期の錦絵「白虎隊英勇鑑」、明治16年の渡辺文三郎原画をもとにした石版画「白虎隊自刃図」が知られている。明治後期から大正、昭和の自刃図としては、石峰をはじめ、木宮晃陽、石川桂堂、渡部雅堂や洋画家の渡部菊二らが描いている。また、近年になって野出蕉雨渡辺東郊の自刃図も見つかっている。

佐野石峰(1857-1942)さの・せきほう
安政4年生まれ。名は藤太郎、字は子紹。橋爪助次郎、福田為之進に詩文を学んだ。明治4年に青森県の三ノ戸学校に入学、かたわら吉越梯雲に北画を学んだ。学校を退職してからは、佐藤適圃について南画を学び、のちに上京して川村雨谷に師事した。大正8年、福陽会美術会が創設されると、勝田蕉琴、荻生天泉らとともに幹事をつとめた。昭和17年、85歳で死去した。

福島(21)-画人伝・INDEX

文献:会津の絵画と書、会津人物事典(画人編)