渡辺東郊(1848-不明)は、会津若松城下屋敷町に生まれた。祖父光蔵は、武をもってきこえ、特に柔術をよくし、屋敷内に修練所を設けて多くの青年を薫陶していた。しかし、東郊は、生来虚弱体質で、少年の頃は刀槍をとることが出来なかったので自ら画道を志し、13歳の時に遠藤香村にした。
戊辰戦争の際には、朱雀隊士として参戦し白河口を守った。晩年に上京し、南画院に所属し同人となった。その後も東京で活動し、会津に戻ることはなかったが、いくつかの作品が会津に残されてる。
渡辺東郊(1848-不明)わたなべ・とうこう
嘉永元年若松城下屋敷町生まれ。名は中、字は和卿、通称は次郎。住居を三友堂、または去来自然堂と称した。晩年に上京し、南画院同人となった。門人に岩浅松石がいる。
福島(20)-画人伝・INDEX
文献:会津人物事典(画人編)