江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

大正から昭和初めにかけての遠州画人

前田靄斎「青緑山水図」

大正から昭和初めにかけて、山下青厓ら崋椿の流れをくむ渡辺小華門下をはじめ、遠州に縁のあった川村雨谷門下や、松林桂月門下、小室翠雲門下、竹内栖鳳門下など様々な師系の日本画家が活躍、それに加えて山根仏頂亭、鈴木黄鶴ら異色の画家たちも現れた。そして昭和11年、新進気鋭の閨秀画家・秋野不矩が28歳で文展鑑査展選奨を受賞し中央画壇で注目され始め、遠州画壇は新しい時代へと向かっていく。

横田華外 よこた・かがい
明治元年9月9日生まれ。名は保、字は希直、初号は秋巒。詩を小栗松靄に学び、画を川村雨谷に学ぶ。大正5年、49歳で死去した。

江間高峯 えま・こうほう
文久元年5月生まれ。磐田郡見付の人。名は俊一。川村雨谷に師事。代議士、弁護士、東京市会議長。江間式強健術で知られる。昭和8年5月31日死去。

田代柳外 たしろ・りゅうがい
磐田郡鹿島の人。名は嘉平次。川村雨谷に師事。

森下青谷 もりした・せいこく
小笠郡大淵村生まれ。名は佐七。川村雨谷に師事。

前田靄斎 まえだ・あいさい
明治16年小笠郡大淵村生まれ。名は長太郎、別号に田徴がある。川村雨谷に師事。

平野竹逸 ひらの・ちくいつ
明治26年磐田郡中泉町生まれ。大正4年に上京して加納雨蓬に学び、のちに松林桂月に師事した。昭和14年、47歳で死去した。

伊藤隋松 いとう・ずいしょう
磐田郡見付町の人。松林桂月に師事。

山下青城 やました・せいじょう
明治15年浜名郡笠井町生まれ。山下青の子。上京して小室翠雲に師事。名は桂、別号に天香書屋、朱竹荘がある。

榑松玉峰 くれまつ・ぎょくほう
明治23年磐田郡上浅羽村生まれ。名は良平。小室翠雲に師事した。

馬渕春涛 まぶち・しゅんとう
明治21年浜名郡北浜村生まれ。竹内栖鳳の門に入り、京都市立絵画専門学校を卒業。

八木王乕 やぎ・おうこ
明治23年榛原郡萩間村生まれ。名は博、初号は栄章、のちに敬谷と改め、さらに王乕に改めた。大正13年、35歳で死去した。

山田筑洞 やまだ・ちくどう
明治9年5月13日磐田郡中泉町生まれ。金森南耕・小山栄達に師事。昭和8年7月29日、58歳で死去した。

鈴木寉仙 すずき・かくせん
明治15年浜名郡蒲村六軒生まれ。近藤樵仙に師事。

釋翠邨 しゃく・すいそん
明治21年浜名郡雄踏町生まれ。安寧寺の二男。名は政光、初号は天江。上京して戸田玉秀の門に入って四條派を学んだ。

平野素雲 ひらの・そうん
浜松市田町の紙商。近藤藍濤に師事した。

川上如雲 かわかみ・じょうん
浜松の日本楽器会社の社長。似顔絵を得意とした。

山根仏頂亭 やまね・ぶっちょうてい
浜松市の弁護士。

鈴木黄鶴 すずき・おうかく
明治24年浜名郡積志村生まれ。本名鈴木朝二、別号黄鶴山人・不可解山房。昭和9年9月、43歳で死去した。

遠州(9)画人伝・INDEX

文献:遠州画人伝