江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

秋田藩江戸定居の御用絵師・狩野秀水と菅原洞斎

菅原洞斎「官女」千秋文庫蔵

藩政時代の秋田藩御用絵師は、秋田狩野派の祖とされる狩野定信の画系が代々つとめていたが、その系列とは別に第9代秋田藩主・佐竹義和の時、狩野秀水(不明-不明)が江戸定居の御用絵師となり、秋田の年中行事を記した「風俗門状答」の挿絵を描いている。秀水の出生は不明だが、斎藤織部という足軽の子という説もある。

秀水の弟・菅原洞斎(1772-1821)も、秋田藩江戸定居の御用絵師をつとめた。江戸下谷の三味線堀に住み、妻は谷文晁の妹紅藍で、洞斎の子・洞旭は谷文晁の妹を妻にした。鑑定家、文化人としても著名で、『画師姓名冠字類抄』の著書がある。文化3年から月1回の古書画会を開催していたらしく、それには少なくとも谷文晁、渡辺崋山、屋代弘賢、加藤曳尾庵、石川大浪、檜山坦斎、山崎宗脩、立原杏所が参加していたと考えられている。

『画師姓名冠字類抄』は、絵師の伝記や落款・印章を集めたもので、古書画会などを通じて収集した情報の集大成と思われる。

狩野秀水(不明-不明)かのう・しゅうすい
秋田藩江戸定居の御用絵師。名は求信、由明、宗珉。別号に蒼雪庵、東桜山人などがある。菅原洞斎の兄とされるが、洞旭の嫡男が洞斎で、次子が秀水という記述もある。藩主・佐竹義和に絵を教え、文化7年に一代御用絵師として抱えられた。門人としては、佐竹義和をはじめ、横手戸村氏お抱え絵師の狩野秀東、桧山多賀谷家お抱え絵師の五十嵐蠹仙らがいる。

菅原洞斎(1772-1821)すがわら・どうさい
安永元年生まれ。秋田藩江戸定居の御用絵師。名は庫徳、由之、字は正朴。別号に阮塘、緑池がある。鑑定家としても著名で、絵師の伝記や落款・印章を集めた『画師姓名冠字類抄』の著書がある。文政4年、50歳で死去した。

秋田(12)-画人伝・INDEX

文献:秋田県立博物館収蔵資料目録、秋田蘭画とその時代展、秋田書画人伝