湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。

04.健全日記

第一話:光の掟

ある人からメールをいただきました。このブログを読んで「お体大丈夫ですか」と心配してくれていました。このブログの文章を読んでボクの体の心配をしてくれるなんて…、まさに天使です。

その汚れなき精神からすると、彼女は花も恥じらう年頃に違いありません。美しい花をみればその白い頬を赤く染める清らかな少女なのでしょう。彼女の回りにはいつもエメラルド色の風が吹き、背後には抜けるような青い空が広がっているに違いありません。

ボクは彼女のことを想いながら、ある非情な運命を予感していました。それは彼女が清純であるがゆえに起こる避けられない運命です。あまりにも清らかな精神が彼女自身を消してしまうことになるのです。

憎むべきは光の掟です。つまり「光の三原色」の法則では、青、緑、そして赤が重なれば色が消滅します。ですから少女の背景に広がる青い空に、爽やかな緑色の風、そして少女が頬を赤く染めれば、三つの色が重なり彼女は色を失ってしまうのです。

乙女チックな風景に花は付き物です。彼女は微笑みをたたえ花に近づいていきました。

「ああ少女よ、その花を見てはいけない。その花に触れてはいけない。その花を手にとり、その美しさに頬を染めればあなたは消えてしまうだろう。ボクにはもうその花の色は見えていないのだ」

とりあえず明日病院に行ってきます。
いえいえ年に一度の定期検診ですよ。

第二話:恋の視界報告

今年の定期検診は腹部超音波診断から始まりました。検査医は女医さんで、ボクはいそいそと検査衣を脱ぎベッドに横になり、「はい、息すって、止めて」とか言われながら、女医さんがおなかのあたりをグリグリと検査しているのを眺めていました。

やや夢見心地で過ごしているうちに、検査時間が長すぎるのではないか、と思うようになりました。あきらかに去年より長くかかっています。こんな場合、考えられることはあまり多くありません。ボクは覚悟を決めました。おそらく検査が終わって、このきれいな女医さんは苦悩しながらボクにその胸の内を告げることになるでしょう。

まず考えられるのは「明日も来てください」と言われることです。詳しい検査が必要なのでしょう。「このまま泊まっていく?」と冗談っぽく言われるかもしれません。即入院ということですね。これは受け入れてもいいような気がします。そして最も恐れているのは「両親に会いたいわ」となることです。こ、告知ですね。そ、それだけは勘弁してください。その結論はもっとグリグリと検査してからにしてください。もっとグリグリして~。ボクは心の中で何度も叫びました。

そして長い長い検査が終わり、彼女の口から出た言葉はボクを凍りつかせました。

彼女は画像モニターから目を離すことなく、まるで嵐の中を飛行中のベテラン飛行士が管制塔に向かって視界の報告をしているように冷静に、「脂肪が多くてよく見えません」と言い放ち、この恋に終止符を打ったのでした。

第三話:ボクは8番さんなのです

涙をこらえてボクは超音波検査室を後にしました。「なによ、なによ、脂肪ってなによ」とつぶやきながら小走りに部屋を出ると、すかさず看護師のおばさんが「あ、8番さん、次は胃の検査ね」って呼びかけてきました。そうなのです。ボクは8番さんなのです。朝、病院に来た順番に番号をふられていて、エレベーターに先に乗っていたおじさんが7番さんになりました。

ボクは看護師のおばさんの言うとおりに胃の検査室の前にある順番待ちの椅子に座りました。隣に7番さんがいたので「ねえねえ7番さん、ひどいのよ」と脂肪についての悩みを打ち明けようとして7番さんの方を見ると、7番さんの向こうに6番さん、その向こうに5番さん、そして4番さんときれいに並んでいて、みんな白っぽい検査衣を着ているので、まるで養鶏場のニワトリのようでした。

まわりを見渡して確認してみると、やっぱりみんなニワトリでした。看護師のおばさんの言うことをよく聞く番号の付いたニワトリでした。ボクは号令に従って整然と動いているニワトリたちをよく観察してみました。すると、血圧測定は検査時間が短いからなのか回転がよいようで、検査室の前の順番待ちの椅子には次から次へとニワトリたちが入れ代わり立ち変わり入ってきて、まるでエサを取り合っているようでした。とても微笑ましい光景です。

もちろんこの時はいっしょに検査を受けている仲間たちに親近感を持ち、微笑ましくその行動を見ていただけなのですが、まさかある瞬間を境に自分が「スーパーニワトリ」に変身し、他のニワトリたちと熾烈な競争を繰り広げることになろうとは、その時点ではまだ知るよしもなかったのです。

第四話:さあ勝負

胃の検査はバリウムを飲んで台の上でクルクル回りながらレントゲンを撮るのですが、それが終わると健康診断もヤマ場を越えたという感じになります。ボクはフラフラになりながら検査室を出ました。そこにまたすかさず看護師のおばさんが声をかけてきて、今回は少し迷ったように「じゃあ、8番さん、次は眼底検査ね」と指示しました。

ボクは「なによ、なによ、じゃあってなによ」とブツブツ言いながら眼底検査室の前の椅子に座りました。そして「ねえ、ねえ、聞いてよ7番さん」と、また隣の7番さんに悩みを打ち明けようとしたのですが、ボクの隣に座っていたのは7番さんではなくて6番さんでした。ボクはいつの間にか7番さんを追い越してしまっていたのです。

不思議に思って周りを見渡してみると、他の検査室の前で待っている行列も最初の時のように番号順に並んでいるのではなく、番号はバラバラに入り乱れていました。いつのまのか早い者勝ちの自由競争に突入していたのです。競輪で言えば、先導の自転車がコースをはずれ、「さあ勝負」といった最終段階です。ボクは心の奥深いところから闘争心がメラメラと湧きあがってくるのを感じました。とにかく前にいる6番さんを追い越さなけらばならない、そう思わずにはいられなくなったのです。

しかし、いくら自由競争といっても看護師のおばさんの指示に従いながら行動しなくてはいけません。ですから、勝負の分かれ目は検査が終わってから看護師のおばさんのところに戻るスピードにかかってきます。ボクは眼底検査が終わると猛スピードで看護師のおばさんを目指して走りました。もう、なりふりかまわずの全力疾走です。

それを見ていたまだ事の成り行きを理解していないニワトリ仲間たちは、ボクの走る姿を見て「あれ、エイトマンじゃない?」「弾丸よりも早いんじゃない?」なんてことを口々に言っていました。なんたってボクは「8番さん」ですから。

こうしてボクは「スーパーニワトリ」への変身を果たし、壮絶な結末へと一歩を踏み出したのです。

最終話:どうして争わなければならないのだ

ボクは走りました。検査を受けるときは平静を装い、終わると猛ダッシュという繰り返しで、とうとう部屋を間違えて右往左往していた5番さんを抜き去りました。それからは順調に、採尿に手間取っていた4番さんを、聴覚検査のボタンの押し方をしつこく看護師のおねえさんに聞いていた3番さんを、問診に行く最後の直線で2番さんを、次々と抜きさっていったのです。しかしトップである1番さんがどこにいるのかつかめないまま、最後の検査である「問診」の部屋の前まで来てしまいました。

これだけ追跡してもトップの影が見えないということは、もう1番さんはゴールしてしまったのかもしれません。ボクは半ばあきらめぎみに問診の検査室の前の椅子に腰掛けました。そして「8番さん、どうぞ」という聞き慣れてしまった呼び掛けに力なく答え、部屋に入ろうとしました。と、その時入れ代わりに出てきたのが紛れもない「1番さん」でした。やはりポールポジションをキープしたまま最後の「問診」を終了したようです。

ボクは1番さんの身なりを観察しました。みんなおそろいの白い検査衣を着ているので身なりもなにもないのですが、そこは長年染みついた雰囲気というのがあります。そしてボクは「更衣室勝負になったら勝てる」と確信したのです。なんたってその上品な紳士はちゃんとスーツを着てネクタイを締めるタイプですが、ボクときたら年中「クール・ビズ」ですから。

ボクは無抵抗の1番さんを更衣室であっけなく抜きさりゴールしました。

勝ち誇っていたはずのボクは、病院の玄関のところまで来て急に後悔しはじめました。自分の行動を責めずにはいられなくなったのです。「ああ、どうして人は争わなければならないのだ。ボクは世界中からすべての争い事が消えればいいと思っていたのじゃないのか。なのにどうして競い合おうとするのだ。さあ、みんな手をつなごう。平和の歌をうたうのだ」そう、ボクはやっと目覚めたのです。もう争うことは決してないだろうとその時強く思いました。

そこにやっと着替え終わった1番さんが現れ、「お先に~」とか言いながら通りすぎていきました。ボクはあわててその後を追いかけ、信号待ちで立ち止まっていた1番さんに追い付き、信号無視してサッと抜き去りました。 コケッ

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