江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

竹田系作品鑑定の第一人者・田中柏陰と門人

田中柏陰「渓山楼閣図屏風」

竹田系作品鑑定の第一人者としても知られた田中柏陰(1866-1934)は、静岡の漆器商の家に生まれ、17歳で京都に出て田能村直入に師事、竹田・直入の画風を受け継ぎ、濃彩の山水画を得意とした。禅にも興味を示し、黄檗禅を修め、詩文を植木斗南に学んだという。34歳の時に山口防府の田中家を継ぎ、姓を田中に改めた。京都と山口に画塾を開き、多くの門人を育成している。主な門人としては、防府の長松秀鳳、藤井華浦、植木華城、大阪の藤原完堂、京都の田能村竹外、田能村直雙、美濃部舟水、片山丹霞、岡山の三宅丹斎、脇本九年、福山の内藤天来、徳山の藤本木田、藤井小陰らで、春風会という毎年恒例の展示会を開催していた。

田中柏陰(1866-1934)
慶応2年静岡県生まれ。本名は啓三郎。のちに画名を馨、字を叔明。別号に静麓、孤立、柏樹子、柏舎主人、空相居士がある。本姓は中川。明治16年、17歳の時に京都に出て田能村直入に師事し、竹田・直入の画風を受け継ぎ、濃彩の山水画を得意とした。師直入は、柏陰の才能を認め、養子としたが、のちに事情があって本姓に戻したという。明治33年、山口県右田村の大崎の田中家の当主幾太郎の長女と結婚し、田中家を継ぎ姓を田中に改めた。明治末から大正期にかけては、山水写生のため越後、信濃、飛騨など全国各地を歴遊し、朝鮮、中国にも渡り写生をした。京都の柳家画肪、山口防府石田の画禅室、及び海北邨舎という画塾を開き多くの門人を育てた。田能村竹田系の作品鑑定の第一人者としても知られる。昭和9年、69歳で死去した。

植木華城(不明-不明)
防府出身で、田中柏陰に師事した。

長松秀鳳(不明-不明)
防府出身で、田中柏陰に師事した。

藤井華浦(不明-不明)
防府出身で、田中柏陰に師事した。

藤井小陰(不明-不明)
大分県出身で、田中柏陰に師事した。徳山市野上町に住んで、有志に絵の指導をした。

山口(13)画人伝・INDEX

文献:山口県の美術、防長の書画展-藩政時代から昭和前期まで