江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

葛飾北斎に学んだ庄内藩士・大山北李

大山北李「工匠乗鶴図」(部分)板橋区立美術館蔵
飛騨の匠とおぼしき工匠が、自ら彫った鶴に乗って飛翔しているところを描く。工匠は鶴が飛んでも手をゆるめず、細部の細工にノミをふるっている。下方では同僚の工人が、驚きながらも空を見上げている。画面右下には「乗らんとておのれにつくる鶴ならず」という雨江の賛を付す。(「北斎一門肉筆画傑作選 北斎DNAのゆくえ」展図録より)

大山北李「工匠乗鶴図」(全図)

庄内出身の浮世絵師としては、葛飾北斎に学んだ庄内藩士・大山北李がいる。北李は、鶴崎に生まれ、文化4年家督を継いで江戸定府を命じられ、江戸神田松枝町に住んだという。その間、北斎に師事し浮世絵師として名を高めた。庭に李の木があったため、北李を名乗ったという。

大山北李(不明- 1826)おおやま・ほくり
庄内藩士。葛飾北斎の門人。名は庄助または孝五郎。恒斎と号した。大山庄太夫(旧姓名:服部恒明)の長子。江戸神田松枝町に住んでいた。文化4年家督を継いで江戸定府を命じられた。翌年表納戸となるが、文化10年に病気のため退いて、文化2年から奥詰めとなった。この間、北斎に絵を学んだ。子の佑輔は祖父と同じく庄太夫と称し、慶応2年に藩主廃立を企てたとして、自刃後斬罪に処された。文政9年死去した。

山形(9)-画人伝・INDEX

文献:北斎一門肉筆画傑作選 北斎DNAのゆくえ、新編庄内人名辞典、郷土日本画の流れ展