金森観陽(1884-1932)は、13歳で尾竹越堂に師事し、富山県出身者として初めて文展に入選した。その後大阪に移り、関西画壇で活躍した。風俗画・歴史画にすぐれ、その手腕を生かした挿絵画家としても活動し、中里介山の「大菩薩峠」をはじめ、多くの時代小説の挿絵を手がけた。
大正後半から没する少し前まで、挿絵画家としての仕事に追われ、展覧会からは遠ざかっていたが、昭和に入って京都の菊池契月塾に加わり、帝展への出品も再開したが、その矢先、肺炎のため48歳で急逝した。
金森観陽(1884-1932)かなもり・かんよう
明治17年富山市生まれ。13歳で尾竹国一(越堂)に入門。明治40年東京勧業博覧会に入選し褒状を受けた。明治44年第5回文展に初入選。この頃大阪に移り、以後関西画壇で活躍した。大正4年第9回文展で褒状。大正9年第12回文展にも入選したが、その後しばらく官展から遠ざかり、挿絵画家として活動。昭和2年兵庫に転居し、京都の菊池契月に入門した。昭和5年第11回帝展、翌年の第12回帝展に入選。昭和7年、48歳で死去した。
富山(23)-画人伝・INDEX
文献:郷土の日本画家たち(富山県立近代美術館)