江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

風景画を追究した湖東の自然画家・邨松雲外

邨松雲外「海浜図」(部分)ツカモト資料館蔵

邨松雲外(1870-1938)は、滋賀県愛知郡小田苅村(現在の東近江市)に生まれた。13歳の時に神崎郡川並村の塚本家に奉公に出たが、生来画を描くことが好きで、20歳の時に退職し、京都に出て円山派の森寛斎に画を学び、書を遠山慮山に学んだ。

25歳の時に第3回日本青年絵画共進会で3等褒状を受けてから30歳になるまでの間に毎年展覧会で受賞を重ね、その後もパリ万国博覧会やセントルイス万国博覧会に出品するなど充実した制作活動を送り、奉公していた塚本家からの支援もあり、画人・文人としてひとり立ちした。

師譲りの円山四条派の描法で、写生を踏まえた風景画を追究し、国内各地を旅して風景をスケッチして絵手本を増やしていった。晩年は湖南の瀬田川の清流を望む石山寺辺町に住み、俳諧三昧の生活を楽しんだという。

邨松雲外(1870-1938)むらまつ・うんがい
明治3年愛知郡小田苅村(現在の東近江市)生まれ。石島佐治右衛門の二男。幼名は由松、名は貞、字は子堅、諱は延長。初号は濤山。別号に鶏伴堂、蘇仙庵などがある。森寛斎に師事した。明治27年第3回日本青年絵画共進会で3等褒状を受け、翌年の第4回展でも3等褒状を受けた。明治29年絵画協会第1回絵画共進会で2等褒状。明治30年絵画協会第2回絵画共進会で2等褒状。明治31年絵画協会第5回絵画共進会で2等褒状、明治32年第7回絵画共進会で2等褒状。明治33年パリ万国博覧会に出品、明治37年セントルイス万国博覧会出品。昭和13年、69歳で死去した。

滋賀(30)-画人伝・INDEX

文献:近江の画人