武部白鳳「雨樹栖鷲図」
武部秋畦(1868-1906)、武部白鳳(1871-1927)の兄弟は、歌川派の浮世絵師の流れを汲む画家・武部芳峰の子として大阪に生まれ、兄弟で西山完瑛(参考)の門に学んだ。兄の秋畦は、朝日新聞社で挿絵を描くかたわら山水花鳥を描き、弟との合作もあるが、38歳で没したため現存する作品は少ない。
弟の白鳳も山水花鳥を得意とし、師の完瑛と同様に古き浪速の名勝地を描いた画帖も多く手掛けた。白鳳には複数の支援者がおり、大阪で不動産業を営んでいた岡本源次郎もその一人で、定期的に購入された作品は大阪中之島美術館に寄贈され、白鳳の主要コレクションになっている。
武部秋畦(1868-1906)たけべ・しゅうけい
慶応4年大坂生まれ。武部芳峰の子。名は豊三郎。別号に芳豊がある。父の芳峰は三谷貞広とともに朝日新聞の挿絵画家として活躍し、朝日新聞の社主をつとめた村山龍平に重用された。秋畦も明治17年に朝日新聞社に入社し、芳豊の名で画工見習として勤務した。明治24年頃には欠勤療養中の父の代わりに挿絵を描いており、明治32年まで芳豊による挿絵が同紙で確認される。挿絵に従事する一方で弟の白鳳とともに西山完瑛に師事し「秋畦」の号を授かり山水花鳥を描いた。明治39年、38歳で死去した。
武部白鳳(1871-1927)たけべ・はくほう
明治4年大阪生まれ。武部芳峰の子。名は藤太郎。はじめ歌川国芳(参考)に浮世絵を学び、明治17年浪華画学校に入学。西山完瑛の門下となり、明治26年に完瑛から「白鳳」の号を与えられた。山水花鳥を得意とした。明治35年に中田精一が発行した大阪の画家番付では、兄・秋畦とともに上島鳳山(参考)と同格の「百傑座位」に記されている。明治36年兄の秋畦とともに完瑛の七回忌の祭主をつとめた。昭和2年、56歳で死去した。
大阪(95)-画人伝・INDEX
文献:大阪の日本画、上島鳳山と大阪の画家たち