松川半山(1818or1822-1882)は、大坂立売堀の狂歌師・鬼拉亭力丸の子として生まれた。画は菅松峰に学び、のちに岡田玉山、丹羽桃渓に私淑した。主に版本挿絵を手掛け、多数の著書がある。また、肉筆作品も描き、戯作も書いたという。暁鐘成と親交があり『淡路国名所図会』では鐘成の作に絵を提供している。
松川半山(1818or1822-1882)まつかわ・はんざん
文政元年(もしくは文政5年)生まれ。大坂の人。狂歌師・鬼拉亭力丸(松川為一)の子。名は安信、字は義卿、俗称は高二。別号に翠栄堂、霞居、直水がある。秦姓を名乗った時期もあるが、松川姓に戻して活動した。菅松峰に画を学び、岡田玉山、丹羽桃渓に私淑した。風景画(名所図)、人物画、版刻画を描き、戯作も書いた。『宇治川両岸一覧』『西国三十三所名所図会』『浪華の賑い』『浪花名所花くらべ』『浪華自慢』『京阪名所図会』など多数の著書がある。明治15年、65歳(もしくは61歳)で死去した。
大阪(53)-画人伝・INDEX
文献:絵草紙に見る近世大坂の画家、近世大阪画壇、浪華人物誌2、大阪人物誌巻4、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、大阪名家著述目録、上方の浮世絵-大坂・京都の粋と技、近世の大阪画人、幕末大坂の風景