速水春暁斎(1767-1823)は、岡田玉山に画を学び、版刻の絵本挿絵を多く手掛け、また自ら読本も書いた。『武江年表』には、享和年間の活躍画人として取り上げられ「春暁斎は画人なれども自ら著述の読み本数十部あり」と記されている。
『増補浮世絵類考』には大坂の人とあるが、文政5年刊『平安人物誌』には息子恒茂(二代目春暁斎)とともに両替町三条北に住むと記録されており、少なくとも最晩年には京都にいたと思われる。
速水春暁斎(1767-1823)はやみ・しゅんぎょうさい
明和4年生まれ。大坂の人。名は恒章、俗称は彦三郎。一説に勝氏。岡田玉山に学び、絵本挿絵を多く手掛けた。一説には、俗称幾竹屋源兵衛といい、大坂北新地青楼の主人だったという。著書に『絵本忠臣蔵』『扁額軌範』『都のながめ』『諸国年中行事図会』などがある。文政6年、57歳で死去した。
大阪(43)-画人伝・INDEX
文献:絵草紙に見る近世大坂の画家、近世大阪画壇