江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

近世大坂最大の文化サロンを主催した片山北海

岡田君章「雪中訪友図」

片山北海(1723-1790)は、越後国に生まれ、京都で折衷学派の儒者・宇野明霞に師事した。明霞没後は招かれて大坂に移り、立売堀で孤松館を開塾した。門弟も多く、藩儒として請われることもあったが受けることはなかったという。

明和元年、木村蒹葭堂の蒹葭堂会を前身とし、佐々木魯庵、平沢旭山らの発起で漢詩結社「混沌詩社」が結成され、その盟主となった。その後、頼春水、篠崎三島、木村蒹葭堂らも参加し、大坂でもっとも盛んな詩社となった。儒者、武士、医者、商人など階層を超えた混沌詩社の集いは各地に知れ渡り、来坂した文人墨客たちが随時参加するなど自由闊達な雰囲気があったという。

同社には毎月6月の甲会(練達の競詠会)と26日の乙会(後進の錬成会)があったとされる。甲会には頼春水、篠崎三島、木村蒹葭堂をはじめ、中井竹山、葛子琴、田中鳴門、細合半斎や各藩蔵屋敷重役らが出入りするなど大坂最大の文化サロンの様相を呈していたという。

儒学を片山北海に学んだ岡田君章(1742-1810)は、阿波蜂須賀藩の大坂藩邸詰の藩士で、詩文書画をよくした。書は張瑞図に私淑し、武芸のかたわら篆刻や音楽にも親しんだ。

片山北海(1723-1790)かたやま・ほっかい
享保8年生まれ。越後の人。名は猷、字は孝秩、通称は忠蔵。号は北海、孤雲。京都の宇野明霞の門人で、明霞没後は招かれて大坂立売堀で孤松館を開塾した。詩を好み混沌詩社の盟主となり、大坂の詩壇を盛りあげた。京都の江村北海、江戸の入江北海とともに三都の三北海と称された。寛政2年、68歳で死去した。

岡田君章(1742-1810)おかだ・くんしょう
寛保2年生まれ。名は豹、字は君章、通称は善次。号は静処、南山、清白など。阿波蜂須賀藩の家臣で大坂藩邸に長年住んだ。儒学を片山北海に学び、書を張瑞図に私淑した。安永6年に帰藩して学職についた。没後に詩集『半間園遺稿』が刊行された。文化7年、69歳で死去した。

大阪(25)-画人伝・INDEX

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