井上文昌(1818-1863)は、新潟町(現在の新潟市)で代々町役人をつとめていた井上家に生まれ、江戸の谷文晁に入門し、文晁の高弟・遠坂文雍(1783-1852)に画を学んだとされる。現存作品は少なく、経歴もほとんでわかっていないが、新潟市の白山神社の巨大絵馬「大船絵馬」や、新潟への最初の外国船渡来を描いた「新潟湊之真景」の作者として知られている。
井上文昌(1818-1863)いのうえ・ぶんしょう
文政元年新潟町(現在の新潟市)生まれ。名は虎之助。谷文晁の門に学んだとされる。「新潟湊之真景」や白山神社「大船絵馬」のほか、武将絵馬、吉祥絵、版本の挿絵や袱紗の意匠、粉本などが残っている。文久3年、45歳で死去した。
遠坂文雍(1783-1852)とおさか・ぶんよう
天明3年江戸生まれ。名は文雍、字は穆夫、通称は庄司。号は雪堂、十友園。谷文晁に師事し田安家に仕えた。江戸の小日向台町(現在の文京区)に住んでいたという。経歴は不明で、現存する作品も少ない。 嘉永5年、70歳で死去した。
新潟(17)-画人伝・INDEX
文献:新潟・文人去来-江戸時代の絵画をたのしむ、にいがた幕末の絵師、新潟県文人研究第14号