墨川亭雪麿(1797-1856)は、越後国高田藩の江戸詰藩士の子として江戸に生まれた。藩主・榊原政養に仕えるかたわら、喜多川歌麿の門人である墨川亭月麿に師事し、墨川亭雪麿の号を与えられた。また、戯作者になることを志して柳亭種彦に私淑し、17歳の時に『稗史通』を著した。
文政5年、26歳の時に『弘智法印嵓坂逎松』を著して以来、合巻を主に約60点を出版し、浮世絵師としてよりも戯作者として知られるようになった。現在確認されている作品は、読本と人情本が1作ずつある他はすべて合巻である。晩年は高田藩江戸屋敷に住み、戯作を続けたという。
墨川亭雪麿(1797-1856)ぼくせんてい・ゆきまろ
寛政9年江戸生まれ。越後国高田藩主榊原家の江戸詰家臣の子。俗称は田中源治。名は親敬、字は虞徳、通称は喜三郎。別号に敬丹舎がある。墨川亭月麿に画を学び、戯作を柳亭種彦に私淑した。文政5年の『弘智法印嵓坂逎松』以来、合巻が多く、読本などを含めて約60点を出版した。安政3年、60歳で死去した。
新潟(14)-画人伝・INDEX
文献:近世物之本江戸作者部類、江戸の文事、久比岐野画人展-地元で活躍した美の先駆者たち-、越佐書画名鑑 第2版