石川侃斎(1764-1840)は、新潟町(現在の新潟市)の役人の家に生まれ、幼いころから書画を好んでいたが、地元では特定の師匠についた形跡はなく、若い時から諸国遊歴の旅に出ている。大坂では木村兼葭堂に画を学び、さらに長崎に行って明清の名蹟に接し、その後江戸に出て帰郷した。
帰郷後も研鑽を重ね、越後に滞在していた釧雲泉や亀田鵬斎からも画や詩文を教わるなどして画技を深め、越後南画の先駆者のひとりとなったが、世間的にはあまり人気はなく、作品を買う者は少なかったという。当時は狩野派全盛で、侃斎の南画はあまり理解されなかったと思われる。わずかに、天保9年に新潟を訪れた信州松代藩の儒者・佐久間象山が、侃斎の米法山水を激賞し購入したと伝わっている。
石川侃斎(1764-1840)いしかわ・かんさい
明和元年新潟町(現在の新潟市)生まれ。名は元輅、字は公乗、通称は龍助。別号に二橋外史、信天翁、老香堂、雅鴎、蒲郡処士、安楽道舎などがある。町役人の家に生まれ、若くして京都・大坂に学び、木村蒹葭堂と交わり、長崎から江戸まで遊学した。中国元明の画意を学んで多くの絵を残した。越後を訪れた釧雲泉、亀田鵬斎にも学び、大きな影響を受けた。天保11年、77歳で死去した。
新潟(06)-画人伝・INDEX
文献:新潟・文人去来-江戸時代の絵画をたのしむ、新潟県文人研究第13号、越佐の画人、越佐書画名鑑 第2版