蜂谷蘭洲(1756-1840)は、信濃国木曽郡神坂村馬籠(現在は岐阜県中津川市)に生まれた。幼いころから画が好きで、青年になって伊勢山田の画僧・月僊について学んだ。山水や人物を得意とし、門弟のなかでもひときわ力量が目立つ存在だったという。師の一字をもらい「月漢」と号したが、のちに「蘭洲」に改号、号を改めた理由は明らかになっていない。
加賀藩主前田侯から高い評価を受け、しばらく金沢で制作していたとされるが、のちに師の月僊に伴い京都に行き、しばらく滞在して京都の文人や画家たちと交流した。頼山陽の父・頼春水や、その弟の頼坪とも交流したといわれている。
木曽では馬籠宿に一部の作品が残されている程度で、蘭洲の名はあまり知られていない。また、弟の蘭渓も兄に学んで絵を描いたと伝わっている。木曽の近世画人として記録に残っているのは、この蘭洲・蘭渓兄弟のみである。
蜂谷蘭洲(1758-1814)はちや・らんしゅう
宝暦6年信濃国木曽郡神坂村馬籠生まれ。通称は寿平、名は武照、別号に月漢がある。伊勢国山田の寂照寺の僧・月僊に師事した。一時、加賀藩の前田家に招かれて金沢に滞在した。月僊に従って京都に住んだこともある。文化11年、59歳で死去した。
蜂谷蘭渓(1769-1840)はちや・らんけい
明和6年生まれ。蜂谷蘭洲の弟。兄について絵を学び、水墨で葡萄図などを描いたという。天保11年、72歳で死去した。
長野(19)-画人伝・INDEX
文献:長野県美術全集 第1巻