狩野永琳(1767-1808)は、信濃国小県郡西前山村(現在の上田市西前山)に農家の二男として生まれた。経歴は不明な点が多く、作品も数点しか確認されていない。少年の頃は耕作に従事し家業を助けていたが、幼いころから画才に秀でており、その腕を磨くために江戸に上り、中橋狩野家の狩野高信の門に入ったと伝わっている。
永琳が江戸に出た年齢を知る詳しい資料は残っていないが、17歳頃と考えられている。出世が早く、師に代わって京都御所の鷹を描く仕事の将(リーダー)になろうとした時、同門のねたみによって毒殺されたと伝わっているが真偽は不明である。
龍光院所蔵の「四季花鳥図」(掲載作品)や「人物図」など12面を貼った屏風は、上田市の文化財に指定されている。
なお、京狩野の伝統を継いだ狩野永琳は、同号の別人である。
狩野永琳(1767-1808)かのう・えいりん
明和4年信濃国小県郡西前山村(現在の上田市西前山)生まれ。農業を営んでいた保科弥惣右衛門の二男。少年時代に江戸に出て中橋狩野家の狩野高信に師事したと伝わるが詳細は不明。文化5年、42歳で死去した。
長野(4)-画人伝・INDEX
文献:長野県美術全集 第1巻、上田・小県の美術 十五人集、長野県美術大事典