江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

佐土原藩の絵師・狩野永諄

狩野永諄「出山仏」臨済宗妙心寺派大光禅寺蔵
「出山仏」とは、雪山(ヒマラヤの異称)を出る釈迦のことで、雪山で6年間の苦行を試みたが、苦行では悟りを開くことができないという考えに至った釈迦が下山する様を描いている。この後、釈迦は尼連禅河のほとりの菩提樹の下で悟りを開いた。

佐土原藩では狩野永諄(1652-不明)が絵師としてつとめた。永諄は佐土原藩の家臣ではなく、絵師として招かれて佐土原に来た人物と思われる。作品は、佐土原町の大光寺に残っている「出山仙」「維摩居士図」など3点、宮崎県立図書館の杉田文庫に三幅対のものが1点残っており、いずれも署名は法橋狩野永諄とある。法橋の位を与えられ、狩野の姓と師の永の文字を名前に許されており、佐土原藩は優秀な人材として永諄を日向国に迎えたと思われる。

狩野永諄(1652-不明)
承応元年生まれ。本姓は石田、名は里信、通称は九郎右衛門。作品の署名には尖信の名もみられる。中橋狩野家の狩野右京時信に師事した。時信没後は、その子・永叔主信を時信の弟子だった狩野昌運季信とともに後見した。晩年は帰国した。

宮崎(7)-画人伝・INDEX

文献:郷土の絵師と日本画家展