高井几董「盂蘭盆図」
高井几董(1741- 1789)は、俳人・高井几圭の子として京都に生まれ、父のもとで俳諧に親しんだ。父の没後、与謝蕪村が夜半亭2世を継ぐにあたり、几董の3世継承を条件としたことから、30歳の時に蕪村の門に入った。
蕪村に師事した几董は、俳諧結社「春夜楼」を創始し、『あけ鳥』をはじめとする俳書を編集するなど、夜半亭の名を高め、師をよく助けた。天明3年、蕪村が没すると、翌年には追善集『から檜葉』『蕪村句集』を編纂して師の顕彰につとめた。
そして天明5年、剃髪して江戸に下り、蕪村の跡を継ぎ夜半亭3世を襲名し、京都に戻った。京都では精力的に活動していたが、天明8年の大火で春に上梓予定だった自撰句集『井華集』の版木が焼失してしまった。それでも同年、俳諧紀行『遊子行』を上梓するなど活動を続け、大坂と京都を行き来していたが、伊丹での句会中に急逝した。
掲載の「盂蘭盆図」は、盂蘭盆三章として、盂蘭盆、つまりお盆にちなんだ3つの句を書いたもので、それぞれの句は描かれた人物と関係している。画法は、蕪村の素朴みのなかに味わいを表現する手法を受け継ぎ、さらに自由さを得た画風となっている。
高井几董(1741- 1789)たかい・きとう
寛保元年京都生まれ。俳人。高井几圭の二男。幼名は小八郎。初号は雷夫、別号に晋明、高子舎などがある。庵号は春夜楼、塩山亭などがある。父に俳諧を学び、18歳で父の剃髪記念集『はなしあいて』に入集。明和7年与謝蕪村に入門し、蕪村没後、江戸に下り夜半亭3世を継ぎ、京都に戻った。天明の大火に類焼し、以後は京坂神の門人宅を転々とした。編著に『日発句集』『初懐紙』『其雪影』『あけ烏』『続あけ烏』『新雑談集』『附合てびき蔓』『続一夜松』『井華集』などがある。寛政元年、49歳で死去した。
京都(97)-画人伝・INDEX
文献:かわいい江戸絵画