海北友松「山水図」(全8幅の内)重文 京都・建仁寺(京都国立博物館寄託)
海北派は、桃山時代に異彩を放った武人画家・海北友松にはじまる画派で、狩野派の装飾的で華麗な様式とは一線を画し、宗元画の影響を受けた水墨画を基調した力強く厳格な画風を特徴とした。祖となる友松は、近江国の生まれで、もとは浅井氏に仕える武士だったが、主家滅亡後に画業に転じ、京都を拠点に活躍した。
狩野派に学び、豊臣秀吉に画才を見出されたとされる友松だが、画家になった経緯は明らかではない。頭角を現すのも60代になってからで、遺作は還暦以降のものがほとんどで、67歳の時に描いた建仁寺大方丈障壁画は、その規模の大きさと出来栄えの見事さにおいて水墨の友松画を代表するものとなっている。
海北派の祖といえども、友松は門閥を好まず、もっぱら自己の画業達成につとめていたこともあって、一族郎党の結集はみられなかった。友松の没後、子の友雪は絵屋として活動し、障壁画も多く描いたとされるが、現存する作品は少ない。その後も友竹、友泉と海北家は続いたが、絵画史上意義ある時代は友松と友雪あたりまでとされる。
海北友松(1533-1615)かいほう・ゆうしょう
→湖国が生んだ桃山時代を代表する武人画家・海北友松
京都(68)-画人伝・INDEX
文献:日本絵画名作101選、桃山絵画の美、桃山時代の美術、日本の美術14 桃山の障壁画、日本美術絵画全集・第11巻