江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

活気あふれる芳醇な桃山美術を演出した狩野永徳

狩野永徳「唐獅子図屏風」宮内庁三の丸尚蔵館蔵

狩野永徳(1543-1590)は、狩野松栄の長男として生まれ、若くして狩野宗家を継承した。幼いころから将来を嘱望され、祖父・元信のもと徹底的な英才教育がなされたと思われ、さまざまな逸話から元信の孫・永徳への思い入れの強さがうかがえる。

永徳が17歳の時に元信は没したが、祖父の期待通りに永徳は才能を開花させ、豪快でスケール感あふれる画業を展開し、天才の名をほしいままに、画壇の寵児として活気あふれる芳醇な桃山美術を演出した。

永徳の画事は多方面にわたるが、特に注目されるのは、織田信長、豊臣秀吉の寵愛を一身に受けての膨大な作画である。信長や秀吉が、安土城、大坂城、聚楽第など次々と大城郭を築くたびに、永徳は狩野派一門を統率して壮大な規模の建物への揮毫を行なった。

永徳が天下人たちのために描く樹木や花鳥、人物は次第に巨大化していき、ついに「大画」と呼ばれる画期的な様式を確立するに至った。画面の高さが2メートルを超える「唐獅子宇屏風」(掲載作品)はその代表例で、桃山という時代のシンボル的な存在ともいえる。

時代の申し子として豪華絢爛は桃山美術を牽引し、圧倒的な存在感を示し続けた永徳は、48歳で急逝する。働き過ぎが原因との説もあるくらいの過激な作画活動だった。後継者の光信は、父の大画様式には批判的で、自らは細画をベースにした独自の道を歩むこととなる。

狩野永徳(1543-1590)かのう・えいとく
天文12年生まれ。狩野松栄の長男。名ははじめ州信、茂重、のちに重信。通称は源四郎。祖父・元信の期待を一身に受け、早くから画才を発揮した。織田信長、豊臣秀吉に仕え、安土城・大坂城・聚楽第などの障壁画を制作。豪壮華麗な城郭建築に適合した桃山様式を確立し、狩野派繁栄の基礎をつくった。天正18年、48歳で死去した。

京都(53)-画人伝・INDEX

文献:狩野派決定版、狩野永徳と京狩野、日本絵画名作101選、日本の美術14桃山の障壁画、日本の美術17桃山の風俗画、近世やまと絵50選、日本美術全集10、日本美術絵画全集・第9巻、日本画家人名事典