伝周文「四季山水図屏風」(一部)重文 東京国立博物館蔵
周文(不明-不明)は、京都・相国寺の僧で、同じく同寺にいた如拙に画を学んだと思われる。足利将軍と関係が深く、足利政権下の官学的なアカデミーの形成に、師の如拙とともに重要な役割を果たしたと思われる。
画風の詳細は分かっておらず、確実な作品は1点も明らかになっていないが、京都の禅僧たちの好みにあった閑かで繊細な山水画のスタイルを確立したとされる。山水の描写は、日本の実景ではなく中国の水墨画を参照にしたもので、禅僧たちはこうした図を眺めながら、心の中の理想郷に遊んだと思われる。
記録によれば、山水画のほか花鳥や仏画などの障屏の大画面にも筆をとり、さらに仏像彫刻にも携わっている。また、工芸方面の雑多な仕事にも従事していることから、絵仏師や木仏師の専門技術を兼ね備えた多芸多能の人物であったと考えられている。
周文(不明-不明)しゅうぶん
室町中期の画僧。越溪と号した。字は天章。足利将軍家直属の禅寺・相国寺で都寺という事務方の役をつとめながら、将軍家関係の美術制作のディレクターのような仕事をしていたと思われる。義持・義教が将軍時の事績が知られ、寛正の初め(1640)頃までは在世したと思われる。
京都(20)-画人伝・INDEX
文献:本朝画史、日本絵画名作101選、日本の美術12 周文から雪舟へ、原色日本の美術11、日本美術全集9