江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

竹原没後の土佐画壇を支えた橋本小霞と門人

橋本小霞 左:双鶴図、右:山水曲水之図

橋本小霞(1813-1879)は土佐藩徒士の家に生まれ、父の跡を継いで徒士となり、藩主の参勤に従ってたびたび江戸に上がった。江戸では徳弘董斎と同じく春木南湖に学び、蘭竹画を得意とした。楠瀬大枝のもとで画事を手伝う頃に出会った生涯の画友・徳弘董斎や、篆刻を学んだ壬生水石と親交を重ね、古屋竹原没後の土佐の画壇を董斎とともに支えた。門人には岩井王山、高橋凌雲、高木晴江、池内美顕、長野南山、田所孤雲、別役春田、弘田琢磨、長崎南山らがいる。

橋本小霞(1813-1879)
文化10年生まれ。はじめ喜久治と称し、のちに和太郎、達と改めた。楠瀬大枝に画を学び、和歌、詩文、書を得意とした。また、壬生水石からは篆刻を学んだ。参勤交代に従って江戸に上がった際には、春木南湖、広瀬臺山らに南画を学んだ。明治12年、67歳で死去した。

長野南山(1826-不明)
文政9年生まれ。名は篤、字は子琴、通称は一字得栄または篤二郎。高知市南奉行人町・長野雄平の二男。漆工で塗師篤と呼ばれた。画を橋本小霞に学び、墨梅山水をよくした。

高木晴江(1829-1905)
文政12年生まれ。本名は同じ。高木六蔵の子。高知市南奉行人町に住んでいた。画を徳弘董斎、橋本小霞に学び、熱心で常に書画会に出席していた。明治38年、60歳で死去した。

池内美顕(1835-1885)
天保6年生まれ。池田仲次の子。高知市鉄砲町に住んでいた。橋本小霞に画を学び、山水人物、四君子を得意とした。明治18年、51歳で死去した。

高橋凌雲(1843-1899)
天保14年生まれ。名は恒幸、高橋為之進の子。はじめ画を橋本小霞に学び、のちに川村雨谷に師事した。明治32年、57歳で死去した。

田所孤雲(1846-1910)
弘化3年生まれ。田所久寿保の子。明治9年より橋本小霞に学び、明治19年から古物商を営んでいた。明治43年、65歳で死去した。

別役春田(1855-1910)
安政2年生まれ。名は俊男。別号に好々散人がある。明治9年から橋本小霞に学び、同年東京に出て川村雨谷に師事した。明治43年、56歳で死去した。

高知(15)-画人伝・INDEX

文献:土佐画人伝坂本龍馬の時代 幕末明治の土佐の絵師たち近世土佐の美術、海南先哲画人を語る