斎藤雀亭(1737?-1812)は、長崎出身で兵庫津に移り住み、岡方の魚棚町で医者を業としながら画を描いていたと思われる。菩提寺である神戸市兵庫区の臨済宗・恵林寺に伝わる過去帳には、明和6年(1769)に初めて斎藤家のことが記載されていることから、これより少し前に兵庫津に移住したとみられる。
師は定かではないが、清人の費晴湖に師事したという説もあり、これでは年代があわないことから、同じ費氏一族で宝暦頃に何度か長崎を訪れている費漢源(参考)に学んだのではないかと考えられている。また、同じ長崎派の画人で雅号も似ている黄檗宗の画僧・鶴亭ともなんらかの関係があるのではないか推測されているが、定かではない。
斎藤雀亭(1737?-1812)さいとう・じゃくてい
元文2年頃長崎生まれ。名は節隆、文倬。字は漢章、直弘とも称した。師系は定かではない。落款に「崎江」「崎陽」と記した。子に漢詩人の室田霞汀がいる。文化9年、76歳で死去した。
兵庫(02)-画人伝・INDEX
文献:神戸・淡路・鳴門 近世の画家たち