アイヌ風俗の記録としては、絵師によるアイヌ絵だけではなく、菅江真澄のように旅行者が旅先の光景を描き留めたり、蝦夷地を訪れて「蝦夷草木図」を著した小林豊章のように、幕命によって蝦夷地調査に関わったものもいる。
三河の国学者・菅江真澄は、天明3年春に郷里を旅立って以来、信越、東北、道南を歩き、秋田の地で没した。その間、旅の先々で多くの写生を添えた文章を残した。天明8年から寛政4年までは松前城下に滞在、アイヌの人々が住む知域を旅行し、その見聞や体験を記した『蝦夷喧辞辯』『えみしのさえき』、『蝦夷迺天布利』『えぞのてぶり続』という旅日記を著した。特に寛政4年の旅では、アイヌのチセ(家)に泊まるなどして、コタン(村)の景観や家の内部の様子などを詳細に記録しており、アイヌ文化を知るうえで貴重な資料になっている。
また、幕吏だった小林豊章は、寛政4年、幕命によって蝦夷地に派遣された。派遣の主な目的は、蝦夷地や樺太の状況を詳細に調査するとともに、松前藩の圧制に苦しむアイヌ救済のために、幕府がアイヌと直接交易を行なうためだった。豊章は、西蝦夷地(北海道の日本海沿岸)と樺太(サハリン)南部を調査し、人物、草木、鳥獣、魚類などを詳細に写生し「蝦夷草木図」にまとめた。この図は、いくつかの写本が今日に伝わっており、国立国会図書館には、桂川甫周が献上本を写したものと、栗本瑞児が堀田正敦所蔵本を写したものが収蔵されている。
菅江真澄(1754-1829)
宝暦4年生まれ。国学者。三河の人。本名は白井秀雄。植田義方に国学を学んだ。天明3年に三河を出て信濃、越後、秋田、津軽、南部、蝦夷地を遊歴。各地で、和歌に挿絵を添えた数多くの紀行を著している。著作としては、日記(『菅江真澄全集』第1巻~第4巻)、勝地臨毫〔雄勝・秋田・河辺〕(第5巻)、地誌(第6巻~第8巻)、民俗資料(第9巻)、雑掌編(第11巻~第12巻)がある。文政12年、76歳で死去した。
小林豊章(不明-不明)
数々の著作が知られ、北海道史、日本博物学史にも名前が登場するが、経歴はほとんど知られていない。通称は源之助、のちに周助。幕吏。寛政4年に調査のため、最上徳内、和田兵太夫とともに蝦夷地に派遣された。著作としては、『蝦夷草木図』『蝦夷地草木写生図』『蝦夷草木譜』『蝦夷草木図』『蝦夷草花写真図』『蝦夷本草之図』『蝦夷見取絵図』『唐太島東西浜図』『諸図草木図』『蝦夷カラフトサンタン打込図』が確認されている。
北海道(8)-画人伝・INDEX