江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

秋田(2)-ネット検索で出てこない画家

江戸中期の画家(1)
備前屋昌益
仙北郡六郷町の町人。大正・昭和期に入って安藤昌益や遠藤昌益と混同されるが別人。竹村吉明編『六野燭談』には「備前屋五郎右衛門。生得滑稽にして、世の機変に応じおもしろき人也。画は法橋洞昌の門人。昌益と号す。歿後四、五十年に相成可申哉」とある。延享・宝暦頃死去。

安井亘
明和6年6月15日生まれ。秋田藩士。名は本生、通称は竜之助、亘。天明4年1月14日大番に入る。妻は林七郎隆英の子。肖像画をよくし、多くの藩士の似顔絵を描いた。大館市立栗盛記念図書館に画集が収蔵されている。

森田魯舟
享保7年生まれ。名は作兵衛、字は顕忠、別号に百花園がある。秋田の俳人で、書画もよくした。天明3年8月21日死去。

雪洞山人
比内の生まれ。寛政頃三都や諸国を遍歴し、子を背負って「画を買わぬか、猫の画を描こう」と触れ歩いた。山形あたりで彼の精巧な猫の画を掛けたところ、鼠が恐れて近寄らず、養蚕家が金二歩で求めたという。

藤原憲承
秋田蘭画家の一人。経歴は不詳。秋田人としたら享保の俳人・藤原非琴との関係が考えられる。作品は、《牡丹》(平野政吉コレクション)や《円窓美人》(個人蔵)などが残っている。

北条蟠木
享保5年6月19日生まれ。秋田藩士。名は忠友、通称は重蔵、本名は幡木、別号に八十がある。俳句、書画をよくした。駒木根投李、吉川五明、佐藤晩得らを含め、安永天明期の「秋田俳家四大人」と称される。寛政元年2月4日死去。

大山二楽斎
正徳2年生まれ。秋田藩士で久保田の人。本名は惟清、通称は久蔵、与右衛門、別号に喜楽翁、善喜翁、不尤などがある。「天神」を得意とし、愉快でユーモラスな筆が特徴。書もよくし、大橋流の技法を持っていた。寛政4年10月14日死去。

小野岡義年
宝暦6年7月9日生まれ。秋田藩執政。源四郎、大和と称した。字は楽圃。佐竹義敦、義和に仕え、画もよくした。寛政12年12月29日死去。

岡本雄山
宝暦元年7月生まれ。秋田藩家老。名は元亮。漢詩、画、俳句もよくし、俳号は掬月斎。享和3年2月3日死去。

大越靖国
秋田の人。別号に秀岳がある。狩野秀水に師事した。

赤坂雪峰
横手の人。横手には「峰」の付く雅号の系譜がある。

秋田(2)-ネット検索で出てこない画家

文献:秋田書画人伝