萩原盤山(1772-1846)は、会津若松城下甲賀町に住み、風変わりな行動の絵師として知られていた。路上で犬や鶏に出会うとじっと観察してその場を離れず、近所に火事があれば自らの危険も顧みず我を忘れて火災のさまを一心に写生していたという。また、人を訪ねれば歓談すること必ず半日に及び、それゆえ人々は盤山を「半日先生」と呼び、来訪を敬遠していたという。
掲載の「旭日鷲図」は、盤山が依頼されて描いたもので、鷲に捕まった狐を本物らしく表現するため、狐の姿を熱心に観察して描いたという。狐があまりに迫真的だったため、依頼者の子の夜泣きが収まらず、法華寺に奉納されたと伝わっている。
萩原盤山(1772-1846)はぎわら・ばんざん
安永元年生まれ。名は順吉。狩野派を学んだ。萩原常盤谷の父。門人に佐竹永海がいる。弘化3年、73歳で死去した。
福島(14)-画人伝・INDEX
文献:会津ふるさと大百科、会津人物事典(画人編)、彦根藩御用絵師・佐竹永海