江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

福井藩最初の御用絵師・狩野了之

狩野了之「布袋図」福井市大安禅寺蔵

福井狩野派の元祖にあたる狩野了之(不明-1660)は、狩野光信門下の高弟・渡辺了慶の子として京都に生まれ、自らも光信に学んだ。京都において画名が高く、狩野姓を許されている。

嘉永15年に三代福井藩主・忠昌によって京都において召し抱えられたが、福井藩御用絵師となってからも洛中住居を許され、のちに福井城下に移った。資料で確認できる福井藩最初の御用絵師で、その子孫も代々御用絵師をつとめた。

了之の作品として確認されているものは多くなく、掲載の「布袋図」以外には、「山水図」(福井県立美術館蔵)や「朱衣達磨図」(永平寺蔵)、「十六羅漢図」(三国町瀧谷寺蔵)などが知られるのみである。

狩野了之(不明-1660)かのう・りょうし
京都生まれ。狩野派・渡辺了慶の子。本姓は渡辺、名は本貫、通称は九兵衛。剃髪後に了之と号し、破墨斎とも称した。父と同じく狩野光信の門人となった。寛永15年三代福井藩主松平忠昌より藩の絵師として召し抱えられた。狩野姓を許され、同じ光信門下の狩野興以の娘を妻とした。万治3年死去した。

福井(05)-画人伝・INDEX

文献:桃山の色 江戸の彩 福井ゆかりの近世絵画、郷土画家とその関連門流展