江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

遠州第一の好事家・大庭松風

大庭松風「墨梅図」

遠江絵画史の黎明期にすぐれた画蹟を残した国学者・内山真龍(1740~1821)の晩年頃、掛川駅を中心とした地域に画人の一団が台頭してきた。当時の掛川駅は、遠江における学芸文化の府であり、画事においても、江戸の谷文晁や京の円山応挙の影響を受けた画人たちが集い、遠江画壇における先駆的存在である村松以弘、丸尾月嶂、大久保一丘ら多くの専門画家を輩出した。この地域で画人たちが隆盛を極めた影には、自らも画人でありながら「遠州第一の好事家」と称され、裕福な財力で画人たちを側面から援助した風流人・大庭松風の存在があった。

大庭松風(1767-1846)おおば・しょうふう
明和4年生まれ。七太夫と称した。名は廷香、字は国馥、幼名は豊蔵、通称は代助、老年になって岱助と書いた。別号に松風亭などがある。大庭家は掛川における豪家で、松風は九代目にあたる。書画愛好の風流人として知られ、東海道を往復する雅人で、掛川を過ぎる時に大庭家に立ち寄らぬ者はなかったという。谷文晁も、門人の村松以弘が掛川だというばかりではなく、しばしば松風のもとに滞留し、盛時には文晁の百幅対があった。曲亭馬琴も著書『覇旅漫録』の中で、松風を「遠州第一の好事家」と称し、「近来名家の書画をたくわふること数百張。又よく客に待す。所蔵の書画中に、堂上方の寄合書、国学和歌者流の寄合書、儒者詩人書画工のより合書等あり。いづれも名流のみをあつめたり。古人の墨跡は猶もとめやすし。僅の扇面へ大家数十人のより合書などは、尤も志をはこぶこと厚からざれば得がたし」と記している。松風は書画を好むばかりでなく、自らも筆墨を弄して、村松以弘に学んで墨梅をよくした。また、掛川の里に石橋を十数か所架設し、出水の際にも通行に不便がないようにするなど、事業面でも地元に貢献している。弘化3年、80歳で死去した。

山田蘭陵(不明-不明)やまだ・らんりょう
大庭松風の弟で、初め駒蔵といい、後に周蔵と改めた。別号に鉄外がある。周智郡森町の山田七郎左衛門の養子となって、山田姓となった。兄・松風の命を受けて東西に遊び、松風の書画蒐集は、ほとんどが蘭陵の手によってなされたらしい。松風が没した時の所蔵品は千点を超えていた。

大庭月湖(不明-不明)おおば・げっこ
松風の同族で、松風と並んでの雅人。名は善、字は楚宝。以弘の門下で書画をよくし、書には善と署し、画には月湖と署名した。

遠州(1)画人伝・INDEX

文献:遠州画人伝郷土画人展-大庭松風・村松以弘の周辺-