江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

幕末維新期の津軽画壇をリードした平尾魯仙

平尾魯仙「安門瀑布紀行」のうち「暗門滝」宮内庁書陵部蔵

毛内雲林と松宮岱陽によって津軽に広められた南画は、松山雲章、工藤五鳳に引き継がれ、その門人たちによってさらに広められていった。なかでも平尾魯仙の出現は、江戸時代から近代へとつながる津軽画壇の基盤を確固たるものにしたといえる。魯仙のもとには、三上仙年、工藤仙乙をはじめ多くの門人が集まり、彼らが中心となって明治以降の津軽の日本画壇は展開していった。

平尾魯仙(1808-1880)は、幼いころから学問を好み、国学、哲学、故実、俳諧、植物学、考古学などを学ぶかたわら、画は毛内雲林に学び、百川学庵には画法と文義を学び、藩のお抱え絵師・今村渓寿にも教えをうけ、画域を広めていった。終生津軽を離れることはなかったが、18歳の時に俳諧と書法を学ぶために入った内海草坡の門で同門だった鶴舎有節と脱藩して江戸に上ろうと企てたことがあったが、その計画はすぐに発覚してしまい、両家の親たちにとめられて以来、こうした行動は慎み、津軽の風土と風俗に根ざした学問を修め、画業に打ち込んだ。

津軽にとどまった魯仙は、領内の名所旧跡をくまなく巡って風景写生を行ない、博物学的興味から動植物の写生も行なった。また、武器武具を詳細に調査し記録している。これらの多くは著書としてまとめられており、650冊を超えるといわれている。『安門瀑布紀行』は、魯仙の直筆本で、画帳3冊と解説書1冊からなり、3冊の画帳には計52図が描かれている。解説書には、文久2年に弟子の三上仙年とともに暗門滝を見に出かけ、各所をスケッチしたと書かれている。

平尾魯仙(1808-1880)ひらお・ろせん
文化5年弘前紺屋町生まれ。弘前城下の魚商小浜屋の長男。名は亮致、幼名は初三郎(八三郎)、別号に盧川、魯僊、宏斎、雄山などがある。幼いころから学問を好み、経史を松田駒水に、画技は工藤五鳳に学び、のちに毛内雲林について本格的に絵を習った。さらに百川学庵、今村渓寿にも教えを受けている。また、書法と俳諧を内海草坡に学び、俳人、国学者としても知られ、数多くの著作を残している。生涯津軽を離れることはなかった。残された作品は、花鳥は四条派、人物は大和絵風、人物でも唐人は狩野派、山水は南画風と、画風は多様である。門人には三上仙年、工藤仙乙、佐藤仙之、山上魯山、山形岳泉、木戸竹石、成田蠖園、相馬仙齢、土岐繁太郎、白井虎山、菊池蘭渓、山上寒月、三上仙秋、高杉仙松らがいる。明治13年、73歳で死去した。

青森(17)-画人伝・INDEX

文献:青森のダ・ヴィンチ 平尾魯仙、青森県史 文化財編 美術工芸、津軽の絵師、津軽の美術史、青森県近代日本画のあゆみ展、明治日記―平尾魯仙亮致録東北画人伝