江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

呉春に師事し大坂画壇で活躍した長山孔寅

長山孔寅「双鹿」

秋田出身の四条派の初期画人としては、京都に出て呉春に学び、のちに大坂画壇で活躍した長山孔寅(1765-1849)がいる。孔寅は、12歳で角館の酒屋・久田屋に奉公し、のちに秋田の那波呉服店につとめた。孔寅がいた頃の角館は、小田野直武(1749-1780)が活動していた時期であり、少年時代の孔寅もなんらかの影響を受けていたかもしれない。

その後秋田の那波呉服店につとめていた20歳の頃、藩校に来ていた儒学者・村瀬栲亭の紹介で京都に上り呉春に師事し、松村景文、岡本豊彦らとともに「呉門十哲」と称されるようになった。

のちに呉春門の上田公長について大坂に移り、狂歌に長じていた公長の影響を受け、孔寅も鶴の舎の門に入って狂歌を学び、三条茂佐彦と号し、文化文政期を中心に大坂の芸文界で名をなした。『南畝帳』(文政7年)など多くの狂歌本の挿絵を担当、また、戯作本として『勧善懲悪 貧弱物語』(嘉永元年)などの著書がある。

長山孔寅(1765-1849)ながやま・こういん
明和2年西木村西明寺生まれ(一説には西仙北町土川)。名は孔寅、字は士(子)亮、通称は源七郎。別号に紅園、五嶺、牧斎などがある。呉春に師事し、人物、花鳥画を得意とした。狂歌名は三条茂佐彦。嘉永2年、85歳で死去した。

秋田(17)-画人伝・INDEX

文献:小田野直武と秋田蘭画、秋田県立近代美術館所蔵作品図録 1994-2003、秋田市立千秋美術館所蔵作品選、秋田書画人伝