江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

小田野直武のよき理解者だった角館城代の佐竹義躬

佐竹義躬 左:岩に芙蓉に蔦図 右:松に白百合図

第6代角館城代の佐竹義躬(1749-1800)は、小田野直武が直接仕えた上役であり、よき理解者だった。そして、直武から直接西洋画法を学んだ秋田蘭画の画家のひとりでもある。義躬の父・義邦は芸文を好み、その影響で義躬も幼いころから狩野派を学び、俳諧をはじめ学芸諸般の素養を身につけていた。

義躬と直武は同い年で、直武の父が義躬に槍術を教えたこともあって、二人は早くから交流していたと思われる。直武が角館で平賀源内に西洋画法を伝授された際には、まず義躬に伝えたという説もある。

『北家日記』によれば、安永4年、義躬は江戸で直武と再開し、舶載の珍しいものを贈られたり、その2年後には一時帰藩した直武を呼び寄せたなどの記録があり、こうした機会に直武から直接洋風画法について学んだと考えられている。植物を好んで写生し、俳句を自賛した俳画風の軽妙な作品も残っている。

佐竹義躬(1749-1800)さたけ・よしみ
寛延2年角館生まれ。秋田藩支城角館城第6代城代。佐竹義邦の長子。名ははじめ義寛、のちに義躬と改めた。通称は太郎、のちに四郎、ついで河内、主計といった。字は通大。雪松、一謙亭、嘯月亭、小松山人、義盈などと号した。幼少より狩野派を学んだ。俳句をはじめ学芸諸般の素養を身に付けた教養人だった。明治6年から寛政11年まで角館城代をつとめ、寛政12年、52歳で死去した。

秋田(6)-画人伝・INDEX

文献:秋田蘭画展、小田野直武と秋田蘭画