江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

パリの人々の生活を描いた増田誠

増田誠「モンパルナスの夜」

増田誠(1920-1989)は、山梨県南都留郡谷村町(現在の都留市)に生まれた。幼いころから絵が得意で、中学時代には「似顔絵の天才」といわれていたという。昭和16年に従軍、鹿児島で終戦を迎え、戦後は釧路に移り住んで看板業を営んだ。この頃、近所に住んでいた上野山清貢と知り合い、上野山が出品していた一線美術展に風景画を出品するようになった。さらに、上野山との交友のなかでパリで絵を学ぶことを望むようになり、昭和32年、37歳の時に渡仏した。

渡仏初期には、当時の流行を反映してか、アンフォルメルを意識した作品を描いていたが、次第に元来取り組んでいた写実を基本とした描写へと移行していき、パリの街や水辺の風景を描くようになり、さらにカフェでくつろぐ人や買い物をする人たち、トランプを楽しむ人々や街頭音楽家など、パリの人々の生活を描くようになり、フランス画壇でも認められるようになっていった。

昭和35年にはシェルブール国際展でグランプリを受賞、昭和38年にはサロン・ドートンヌの会員、昭和40年にはサロン・ナショナル・デ・ボザールの会員となり、同年フランスの街並みを描いた作品がル・サロンで金賞を受賞した。同年末には受賞作品を紹介する個展が日本の画廊で開催され、その後、昭和45年から昭和63年の第15回展まで小田急百貨店で継続して個展が開催され、日本でも知られるようになった。

増田誠(1920-1989)ますだ・まこと
大正9年山梨県南都留郡谷村町下谷(現在の都留市)生まれ。昭和16年陸軍に入隊し、戦後は北海道釧路に渡り、上野山清貢と交流し、昭和27年から一線美術展に出品した。昭和32年渡仏し、以後パリに住み、街の風景やカフェの人物などの風俗画を描いた。ル・サロン、サロン・ドートンヌをはじめ、各展覧会に出品し、昭和35年シェルブール国際展でグランプリを受賞、昭和40年ル・サロンで金賞を受賞し、無鑑査になった。日本とパリを往復し、ほぼ毎年小田急百貨店で個展を開催した。平成元年、68歳で死去した。

山梨(31)-画人伝・INDEX

文献:増田誠 パリ人生の哀歓、山梨の近代美術、山梨県立美術館コレクション選 日本美術編、山梨「人物」博物館 甲州を生きた273人