江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

山梨県人で初めて帝展特選をえた大河内夜江

大河内夜江「たにまの春」

大河内夜江(1893-1957)は、山梨県東山梨郡大藤村(現在の甲府市塩山)に生まれ、高等小学校を卒業後に上京し、白馬会洋画研究所で洋画を学び、光風会展、日本水彩画会展などに出品した。その後、日本画に転向し、28歳の時に第3回帝展で初入選、その後、30歳の時に京都絵画専門学校選科に入り、菊池契月の画塾に入門した。

南画や大和絵などの様式に洋画の技法を融合した独自の様式を確立し、昭和元年の第7回帝展では、山梨県人として初めて特選となり、続く第8回展でも「たにまの春」(掲載作品)が特選となった。

昭和5年には京都から東京に転居し、帝展に出品を続けていたが、昭和10年の松田改組を機に帝展出品をやめ、再び京都に戻り、以後は京都で個展を発表の場とし、晩年は再び東京に戻った。大病を経験して禅宗を極め、これを基調にして昭和30年、東京三越で個展を開き「大菩薩峠絵巻」などを描いた。

実弟の大河内山郷(1906-1945)は、実家で農業をしながら水彩や油絵を描いていたが、父の死と兄の絵画における成功をみて、昭和3年、23歳で上京、兄について本格的に日本画をはじめた。以後苦学しながら院展に出品し、春季展をふくめて数回入選したが、体を壊し満足な活動ができないまま39歳で没した。山水を得意とし、甲斐美術には創立より参加した。

大河内夜江(1893-1957)おおこうち・やこう
明治26年東山梨郡大藤村(現在の甲府市塩山)生まれ。本名は政宜。高等小学校を卒業後上京して白馬会洋画研究所で学び、光風会展、日本水彩画会展などに出品した。大正10年第3回帝展に初入選。大正13年京都絵画専門学校選科に入学、菊池契月の画塾に入門した。昭和元年第7回展で特選、翌年の第8回展でも特選となり、第9回展では無鑑査となり、以後第15回展まで連続出品した。昭和5年東京に転居するが帝展松田改組により昭和10年再び京都に戻り以降個展を発表の場とし、晩年再び東京に戻った。昭和32年、64歳で死去した。

大河内山郷(1906-1945)おおこうち・さんごう
明治39年東山梨郡大藤村(現在の甲府市塩山)生まれ。大河内夜江の実弟。本名は七郎。昭和3年上京し兄について本格的に日本画をはじめた。以後苦学しながら院展に出品した。昭和13年結婚したが、数年ならずして発病し、以後活動もできないまま、昭和20年、東京において39歳で死去した。

山梨(19)-画人伝・INDEX

文献:塩山市史通史編下巻、山梨の近代美術、山梨県立美術館コレクション選 日本美術編、山梨に眠る秘蔵の日本美術、山梨県立美術館蔵品総目録6 2008-2015