江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

山形画人として最も多くの作品を残したとされる小松雲涯

小松雲涯「山水図」

中山町の農家に生まれた小松雲涯は、幼いころから画を好み、14、5歳で画家を目指すようになった。はじめ同郷の服部武陵に画技を学び、のちに江戸に出て春木南溟に師事した。明治20年、56歳で帰郷した後は見崎に住み、専門画家として活動し、多くの門人を育てた。主な門人に、鑓水雲林、阿部蓮舟、飯野雲樵、村形雲涛、会田蘭涯、後藤松亭、柏倉雪章、荒井翠圃、高島祥光らがいる。

画風は南北折衷派で画域は広く、花鳥、山水、人物をはじめ、仏画、壁画、端午幟絵にいたるまで手掛けている。生活のためかなり濫作したとみられ、山形画人として最も多くの作品を残していると思われる。

小松雲涯(1832-1919)こまつ・うんがい
天保3年中山町小塩生まれ。農業・小松文太郎家の子。本名は和輔。別号に蘭湖、南山、竹山、雲外、雲厓、雲崖などがある。はじめ服部武陵に学び、蘭湖と号した。のちに仙台に赴き菅井梅関、さらに江戸に出て春木南溟に入門し7年間修業し、南山と号した。その後全国各地を遊歴し、帰郷後、山形市見崎の鑓水家に婿養子に入った。のちに分家して村内に居を構えたが、終生小松姓を名乗った。専門画家として生計を営み、多くの門人を育てた。大正8年、88歳で死去した。

山形(24)-画人伝・INDEX

文献:天童美術の流れ展、村山ふるさと大百科、武田喜八郎著作集巻2、中山町史