江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

戦前を中心に京都画壇で活躍した冬木清

冬木清「勤労奉仕」氷見市立博物館蔵

冬木清(1903-1984)は、富山県氷見郡氷見町(現在の氷見市)に生まれた。富山県立工芸学校に入学したが、授業が意に沿わず2学年途中で中退し、17歳の時に京都に出て石崎光瑤に師事した。光瑤の推薦によって竹内栖鳳の竹杖会にも参加し、栖鳳の指導を直接受けることができた。しかし翌年、体調を崩したため一旦帰郷し、21歳で再び京都に戻るまでの3年間を氷見で療養しながら制作に励んだ。

23歳で、光瑤が教鞭をとっていた京都市立絵画専門学校に入学し、在学中の昭和3年、第9回帝展に初入選し、その後も帝展に入選を重ね、戦前の京都画壇で活躍した。戦中は故郷に疎開するが、50歳の時に再び京都に戻り、以後は京都を主な活躍の場として京展などに出品、80歳で没するまで多くの作品を描いた。

冬木清(1903-1984)ふゆき・きよし
明治36年氷見郡氷見町(現在の氷見市)生まれ。本名が清。別号に玲華をはじめ、彭春居、紀世之、迎春洞、迎春居、隆春洞、未知、未通などがある。大正8年富山県立工芸学校に入学したが、翌年同校を中退し、京都に出て石崎光瑤に師事し、光瑤の推薦により竹内栖鳳の竹杖会に参加した。大正15年京都市立絵画専門学校予科に入学し、選科を経て昭和11年同学研究科修了。同校在学中の昭和3年第9回帝展で初入選。以後昭和18年の第6回新文展まで官展に10回入選した。昭和20年氷見市に疎開。昭和28年再び上洛。昭和59年、80歳で死去した。

富山(15)-画人伝・INDEX

文献:郷土の日本画家たち(富山県立近代美術館)、1940年代 富山の美術、氷見市立博物館館蔵品展1、 県展の草創期に活躍した作家たち